大戦が終結して、はや16年が過ぎた。
時代の流れとは恐ろしいもので、社会経済は幾分か回復し、円滑とは言えないが、ゆっくりと回り始めていた。
しかし、複雑な分割占領は今なお続き、首都はまだ四分割されたままである。
戦後処理に、軍事に、公務に追われていたドイツは毎日が地獄のように思えた。しかし国民の表情が以前より明るくなりつつあるのを見る度、それはどこかへ行ってしまう。そして、頑張らねばと思った。最初は、負傷した身体を引きずりながらの活動であった。
二つの反立した経済体制が一国内で成り立っているのも、プロイセンというもう一人の“ドイツ”がいたからだろうとドイツは思った。
いずれはまた1つの、自分たちの“ドイツ”に戻ることを願った。
そんな中、それは突如として現れた。
仕事の合間、少し時間の余裕をとらねばと、気晴らしに外へ出て町の中心のほうへと散歩に出かけた時。人はいなかった。
「何だ・・・これは、一体・・・」
ドイツはその場に呆然と立ち、“門”を見上げた。
戦勝記念に立った、自分の凱旋門だと、プロイセンが自慢していた“門”が、門であるはずなのに先がない。左右を見渡しても、門より先の街は遮断されていた。
近づいて触ってみれば、コンクリートの冷たく硬い感触。完全に“壁”である。跳躍してもその先は見えないくらい、高い。
「スゲーだろ」
不意に声をかけられ、ドイツははっと横を見た。
「兄さん・・・」
「よっ」
プロイセンがその壁にもたれかかっていた。国だった時の紺青の軍服を着ていた。
ここ2、3日姿を見ていないと思っていたら、こんなにもあっさりと姿を捉えることができた。
「久しぶりだな」
「あぁ・・・それより、これは」
何だ、そうドイツが続けようとしたときだった。
「これはね、“しきり”なんだ」
「ロシア・・・」
プロイセンの後方にはロシアが、ソヴィエトの陣営がいた。
「こんなところにいたのかい」
今度はドイツの後方から声がした。
「探したよ、ドイツ」
「アメリカ」
ドイツの後方にはアメリカだけでなく、イギリス、フランスがいた。互いに数人の軍人を連れており、ドイツとプロイセンを介して対峙しているように見えた。
否、実際に対峙している。
「おいおい、物騒なモン構えんなよ。怖くて話せねーじゃんか」
プロイセンは構えられている銃を見て、軽く両手を挙げた。
「撃つ気はないよ、一応最後なんだから」
いずれも腕で「撃つな」と合図を取る。
「最後・・・?」
ロシアの言葉に、ドイツは引っかかりを感じた。
アメリカ・イギリス・フランス、ロシア。壁、そして「最後」。
聡い、というのは時として残酷である。
「・・・プロイセン」
ドイツはプロイセンを睨んだ。
「説明は要らないみたいだな」
プロイセンは腰に手を当て、ドイツを見た。いつもの目の色をしているのが、ドイツの気に障る。
「なぁに、ちょっとした別れだ。べつに消えはしねーよ」
そう言って、ドイツの肩を叩く。いつもは加減を知らないのかというくらいに強く叩かれるが、今はとても弱く、優しかった。
「お前は“ヴェスト”だ。丁度いいじゃねーか」
「何が丁度いいんだ!」
ドイツは壁を拳で殴り、
「丁度良い訳がないだろう!」
そして怒鳴った。
「東側の状況を解って言っているのか?!」
「あぁ」
「何故、もっと早く言ってくれなかった!」
「悪かった」
「どうして、一人で決めたんだ!」
「東に行きたいからだ」
最後の言葉だけ、はっきりとした意思が感じられた。ドイツはプロイセンの腕を掴んで、止まった。こんなにも簡単に掴める手だっただろうか、と。
改めて、プロイセンの顔を見る。
「頼む、行かしてくれ」
紅の双眸から、滴る雫。
ドイツは初めて、父であり兄であるものの「哀」を見た。
東。
ブランデンブルク、ザクセン、メクレンブルク=フォアポンメルン、ザクセン=アンハルド。
「大切なものをさ、もう失いたくないんだ」
プロイセンはドイツの肩口に顔を伏せた。
失った“国”としての自分、破壊された故郷、王の丘。
理由が解らないわけではない。解りたくなかった。
「俺だって、失いたくない」
ドイツは壁を殴った手をより強く握った。
その時、プロイセンが顔を少し上げ、ドイツの耳元で囁いた。
「Durch leiden Freude,West」
それはある有名な、「楽聖」と呼ばれた者の言葉だった。
そして完全に顔を上げ、プロイセンはドイツから数歩離れた。
「壁なんて、所詮ただの壁だ。障害になろうといつかは壊れ、越えていける」
そこにもう涙はなかった。代わりに、“覚悟”と“確信”が見えた。
「じゃあな、ルードヴィッヒ。我が兄弟、我が王よ」
そう言って、プロイセンは視線をドイツの後方へと移した。
こいつをよろしくな。
視線で言ったが、三人は、はっきりと聞いて取れたように感じた。
そして踵を返し、背を向けた。
「待て・・・ッ!」
ドイツは追いかけようとした。
しかし、阻害された。
「行かせるわけには、行かないよ」
アメリカが、しっかりとドイツの腕を掴んだ。
「アメリカッ・・・離せッ」
振り払おうと腕全体を動かすが、外れない。ドイツの身体も、大戦のせいでまだ回復しきっていなかった。
その間にも、プロイセンはソヴィエトの側へと足を進めていく。
「ッ・・ギルベルトッ!」
「来るなッ!」
プロイセンは足を止めた。
「いいか、絶対越えるんじゃねーぞ!分かったな!」
そして、もう振り返ることなく歩いて行く。
(嫌だ、解りたくない、解りたくない、解りたくないっ!)
だが、実際はどうなのか。阻害されているとはいえども、それとは別に、足が重くて前に出ない。何かに引っ張られ、地に縫い付けられる感覚。これは一体何なのか。
「じゃあね、西ドイツ君。アメリカ君たちもね」
東ドイツ君はありがたくもらっていくよ。
そう言い残し、ソヴィエト側も背を向けた。
その先に、ドイツは光を見ることができず、その場に膝をつき、頭を下に向けた。
そして同時に気づいた。この足の重さは、国民のすべてなのだと。結局自分は、去り行く兄より、“自分”を選んだのだ。
(なら、俺がやるべきことは)
立ち止まっては、いられない。
「「・・・・・・」」
イギリスは、ドイツの感情がわからないでもなかった。思い返される独立戦争の悲しみ。同じだったはずのものが、欠けていくその辛さ。
フランスも、かつての旧友が、敵側に回ることは許せない。許せない以上に、止められないことが悔しい。
しかし、同情することは許されない。
ロシアたちを乗せたであろう軍のヘリを見送って、ドイツは言った。
「離してくれ、アメリカ」
痛いんだ、そう付け加えて。
「あぁ、ゴメンゴメン」
アメリカはすぐに手を放した。ドイツの手首には少し赤い痕が残った。
すると、ドイツは門に背を向けて歩き始めた。
「おい、どこへ行く気だ」
イギリスが問いかけた。
「仕事の続きだ」
まだ結構な量が残っているからな、と付け加えて。
「お前、正気か?」
フランスが問いかけた。
「正気も狂気もない。俺は俺だ」
そう言って、ドイツは町の中に消えていった。
窓の外の目下には、首都の鳥瞰図が広がっていた。細くではあるが、壁も見える。
「たいした演技だったね」
「・・・るせぇ」
その風景を、プロイセンは整理のつかない心中で見下ろしていた。
「そんな顔じゃ、なぁんにも効果ないよ」
「黙って進めろ」
何が嬉しくて、ロシアの隣に座らなければならないのか。
冬季面での軍事力は認めているが、個人の性格はどうも好かない。無邪気に言い出すことが、あまりにも恐ろしいからだ。
向こうについたら、まず何をするのか。
プロイセンは片足を座席に上げ、膝に額をのせた。
「・・・ヴェスト」
ポツダムは、ブランデンブルクは、東は守りたい。なんとしても。
(本当、お前が西でよかった)
仕事部屋の扉の前で、ドイツは一度足を止めた。
「Durch leiden Freude・・・」
苦しみを経て、喜びに帰れ。
もう後悔はない、しない。
「俺は、必ず・・・」
必ず、“ドイツ”を取り戻す。
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