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日常/感想/二次創作小説※重要。小説へはカテゴリーの一覧から飛んでください。取扱CPはDRRR:臨静臨/APH:東西&味覚音痴/異説:78中心天気組/黒バス:赤降赤/VGユニット:騎士団航空海軍他。DRRRは情報屋左推奨中。TV小説漫画DVD所有。APHは東西LOVE独語専攻中。漫画全巻CD原作柄所持TV二期迄。異説はもう天気組愛。原作は7のみ。コンピ把握。81012は動画攻略wiki勉強。究極本厨。赤降気味でリバOK。VG擬人化フレイム・サンダー辺りとか。コメント・誤字指摘歓迎します!!転載とかはご遠慮願います。
No.
2024/05/05 (Sun) 00:05:34

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No.158
2012/01/07 (Sat) 22:28:56

第九話。


 本格的な冬がやってきた。一年最後の月が訪れ、何かとせわしない空気が街を包んでいた。東京で雪が降った日はまだ一度もない。昼間は薄い層の雲が並んだ水色の空が広がり、夜は澄んだ深い紺色の空が広がるようになった。目を凝らすと一等星の輝きがネオンに負けず輝いていた。日を追うにつれ陽も短くなり、帰路に着くころにはすでに日が落ち始めていた。
 平日の午前は学生の数は減ったが、社会人は年末の三日前ほどまで休みはない。交差点が赤信号に変わり、社会人の一団は足を止めた。その一団に静雄は混ざっていた。制服の上にコートを着込み、手には手袋を首にはマフラーと冬の装いに身を包んでいた。息を吐くとそれは白く曇り、やがて街に溶けていった。
――― 冬、だなぁ
鞄を持ち直し、静雄は青信号に変わった横断歩道を渡った。道行く途中ふと脇を見れば店先がクリスマスで彩られていた。恒例のツリーに赤や青や緑のメタリックで塗られた丸い飾り、星形に切り抜かれたシール、窓ガラスには白いスプレーでサンタクロースとトナカイが描かれていたり、様々な装飾が店を飾っていた。ついで商品に視線をずらせば、クリスマス特価と言わんばかりに様々な商品が割り引かれていた。
――― クリスマスか……
ふと思えば、クリスマスはそろそろでは無かっただろうか。携帯でカレンダーを確認すれば、クリスマス二日前だった。二学期が終わってからも、ずっと教師の有志で行われている補講で学校に通っていたため全く気にしていなかった。
 ――― 確か臨也の奴、明日家に来るよな
いろいろお世話になったので折角だから何かしようかなと思い立った。
 

 二十四日、朝。
 朝の気温がぐっと下がり、寝具からなかなか出られなくなり始めた。臨也は無理やり起床するなりすぐに長袖のパーカーを羽織り、欠伸をしながらキッチンに入った。小型の雪平鍋に水を張りコンロに乗せ火をかけ、食器棚からマグカップを出しコーヒーとクリープ、砂糖を入れ食パンをトースターに入れた。
 湯をコーヒーに注いで軽く回し、焼き上がったトーストを口に銜え、臨也はテレビをつけた。丁度朝のワイドショーが始まったところで、各紙の朝刊をパネルに出して解説とコメントを付けていた。
 次第に目が覚めてきたところで、番組はクリスマス特集に入った。
 ―――あぁ、今日クリスマスイヴか
口の中のざらつきをコーヒーで流し、カップをシンクにおいて臨也は自室に戻った。特に考えることなく着替え、黒いコートを羽織って、携帯や財布、そして数本のナイフを身に着けて臨也は家を出た。

 
 二時間後、駅前。
静雄はデパートに来ていた。何をしようか考えた結果、無難にプレゼントを贈ることに決めた。一番無難な選択であったが、一番難しい選択だった。クリスマスイヴともあって周りを見れば人が大勢行き交い、男女の二人組がやけに目についた。
 そして静雄の横には、ある意味女性以上に貴重な人物が立っていた。
「珍しいね。兄さんが買い物なんて」
幽である。紺色のシンプルなロングコートに身を包み、サングラスも忘れていない。何人かがまさかと注意を向けるが、今のところ声はかけられていない。一人で行くのが躊躇われたため、ダメもとで連絡を入れたところ思わぬことに了承が得られた。
「あぁ、そうか?」
プレゼントを贈ると決めたのはよかったが、実際頭の中では何を買おうかと必死になって検索していた。正直学生が買えるものなんて限りがある。そして臨也の所得を勝手に考えると何を買えばいいのかさらに分からなくなった。
 それよりも。しばし考えを片隅に追いやって静雄は言った。
「よく休みとれたな」
静雄は幽が付き合ってくれたことに驚いた。特番に加え確か映画の撮影も続いていたはずである。
「今日は生放送とか中継、無かったから」
幽は少しだけ表情を崩して答えた。その答えに静雄は少しだけ納得した。収録番組なら事前にどうにでもできる。
実際は、幽はプロダクションに無理を言って休みをもらっていた。しかしクリスマス以降に休みを取る方がもっと困難であったため、また今までほとんど休みを取らず働いていたので、妥協してもらえたのであった。夕方はすでに予定が入っており、午前中に買い物をしようと考えていた。そこに突然の静雄からの誘いがあった。驚きながらも、久しぶりにとれる時間に幽は快諾した。

 
 特に行きたい店がなかったため、静雄はまず幽の後をついていくことにした。
 昇りのエスカレーターに乗りながら、幽は尋ねた。
「兄さんは折原さんに、だよね?」
「……まぁ、世話になったしな」
「何買うかって考えた?」
「いや、思いつかなくてよ」
「そう」
幽は手を顎に当てて考えた。
「あの人の場合、欲しいものは何でも自分買い揃えていそうだね」
「だよなぁー」
静雄はベルトに肘を置き溜息をついた。
 目的の階につき、エスカレーターから離れた。着いたのかと静雄は思ったが、そこは紳士服売り場ではなく、婦人服売り場だった。
 様々な音楽が流れ、いわゆる「可愛い」服が所狭しと並んでいた。
「俺も折角だから買おうと思ってさ」
「ぉお?」
思わず何を、と問い返しそうになったが、静雄は控えめな性格の少女を思い出した。実際に見たことは無いが、幽同様役者でありまたアイドルであるためテレビでは何度か見たことがある。確かに彼女のよく着ている服もこの階にはありそうだ。しかしさすがにこのフロアに男二人は、と思いながら、しかしそれをあえて考えようとせず静雄は幽の後を追った。
 視線を上にあげて店名を一つ一つ見ていくと、クラスの女子がよく喋っている店や紙袋で見覚えのある店などが目に入った。一着いくらぐらいするのだろうかと目についたコートの値札を見て、意外と高いもんだなと思った。なんとなく順番に見ていくと、納得できるものもあればこれがと驚くような値段がついている服もあった。
 ふと幽の方に視線を向けると、プレゼントともあって真剣に考えて見ていた。何か手伝ってやりたいとは思うが、助言できるほど通じているわけではないし、むしろ幽の方がセンスがある。かえって悩んでいるのだろう。
 邪魔をしないようにと思い、静雄は話しかけた。
「先上行って探してくる」
「分かった。あとでそっちに行くよ」
「おう、分かった」
静雄は軽く手を振って、上りエスカレーターのところにまで戻った。
 一つ階を上がるだけで婦人服とは雰囲気はがらりと変わり、紳士服売り場は比較的静かだった。人の数も減っている。静雄は知らないうちに入っていた肩の力を抜いた。
「さて」
何を買おうか。通路に沿って様々な店に視線を向けていくと、コートやジャケットがよく目に入る。どれもセンスの高さがうかがえるが、どう考えても買い手は社会人だ。学生の買えるものではない。インナーを見ても何がいいのか全く分からない。敢えて持っていなさそうなものを贈るのも一つの手かもしれないと思ったが、それは何となくプレゼントではない気がした。さらに細かく見ていくと、装飾品のように置かれたマフラーに目が留まった。そういえば臨也は好んでフードつきのコートを着る割にハイネックのインナーはあまり着ていなかった、と静雄は思い出した。
―――よし、マフラーにするか
ものが決まれば話は早い。クリスマスにちなんで緑にするか、赤にするか、無難に紺色にするか。順に店を見まわっていくなかでノルディック柄も見つけた。だが、似合いそうにないなと思った。でも鹿とかがついたのを巻いていたら、それはそれで可愛いかもしれない。
―――って、可愛いは違う
静雄は頭を振った。慌てて別の柄に目を動かした。そこで無地が目に入ったが、少しさびしかった。着ている服が無地だから柄は合った方がいい。アーガイルかチェックが妥当だろうか。いつも黒い格好ばかりだから黒や灰色は避けよう。そう思っていると深い赤色に黒と緑のアーガイル模様の入ったマフラーを見つけた。
 ――― よし、これにしよう
あまりに悩んでいては決まるものも決まらなくなる。そう思い静雄はそれを手に取った。念のため値段を確認するとマフラーの相場より若干高くはあったが買えないわけでもなかった。
「プレゼント用に包装しますか?」
店員に尋ねられ、静雄は一つ頷いて提示された見本の中からあまり華美でないものを選んだ。
 包装されたプレゼントはさらに紙袋に入れられた。それを受け取って店を出て、携帯を取り出してメールを打ちながら下りエスカレーターの方に向かうと、偶然にも幽が立っていた。あの後すぐに決めたのだろう。肩には最後に見た店のロゴプリントが入った濃い桃色の不織布の袋を提げていた。
「思ったより早かったね」
「まぁ、買うものが決まったからな」
携帯をポケットにしまい、静雄は下りエスカレーターに乗ろうとしたところ、幽に腕を引かれた。
「どうかしたか?」
「兄貴の分も」
「いや、別に良いって」
断ろうとしたが、幽の目は真剣そのものだった。その様子に静雄は折れ、手を引いたまま歩き出した幽に必然的について行った。

 
 買い物は昼過ぎまでかかった。折角買ってもらったのだから何か自分も返すと言ったところ、手料理が食べたいと言われた。本当にそれでいいのかと問い直したがそれでいいの一点張りで、じゃあ約束だと指切りをしたところで、近くの喫茶店に着いた。
昼食というにはいささか遅い食事をしていると、不意に幽の携帯電話が鳴った。その電話を受けながら少し表情が曇ったのを見て、仕事の内容だろうなと静雄は推測した。人気の俳優なのだから仕方がないと思う反面、やはりさびしさは感じてしまう。強行して買い物に出かけられたのは運が良かったかも知れない。
 電話を切ると、予想通りマネージャーからの電話で、打ち合わせが入りすぐに戻らなくてはいけないようだった。行ってこいと静雄は手を振った。
「本当ごめん」
「そんなに謝んなくてもいいって。買うもんは買ったし、あとは帰るだけだからよ」
グラスに残っていたオレンジジュースを空にして、静雄は席を立った。後を追うように幽も席を立ち、勘定を済ませて店を出た。
 外は午前以上に増えており、様々な袋を持った人が流れを作っていた。
「じゃあね」
「またな」
軽く挨拶を交わして、静雄は幽を見送った。マネージャーが近くまで来ていたようで、そのまま車に乗り込み走り去っていった。
 
 
 
 家に帰るなり、静雄は自室で荷物を下ろしそのままベッドに直行した。思った以上に疲れた。プレゼント一つ買うのにここまで疲れるとは思ってもいなかった。
 母も仕事に出ている。静かな室内でふと、静雄はこの間の臨也の言葉を思いだした。
 ―――例外、か
苛立ちや喧嘩から離れ、平穏と呼ぶにふさわしい日常に馴染んでしまっていたためにすっかり忘れてしまっていた。自分は化け物なんだ。標識をアスファルトから抜けるくらいの、自動販売機を引きはがして持ち上げられるくらいの力を持った。逆の意味もなんとなく想像したが、ありえない、望みは薄く感じられた。きっと仕事で仕方なく付き合っているんじゃないだろうか。
 ―――貰って、くれるかな
いや、きっと受け取りはするだろう。その後は知らないが。紙袋からわずかに見える紺色と白の不織布をぼんやりと眺めながら、静雄は目を閉じた。
 
 しかし時間になっても、臨也は来なかった。
 
 
 夜。
 昼の温かさが嘘のように寒くなった。世の中はクリスマスイブということもあって多くの人が行き交い華やいでいた。雪こそ降ってきてはいないが、空は晴れず雲がかかった鈍色で、お世辞にも澄んだ夜空とは言えなかった。
その下、大通りから大分外れた暗い道を、臨也は壁に支えられながら歩いていた。その息は荒い。走ったものとは違う、酸素を求めたものではなく痛みの捌け口を求めている呼吸だった。
「ぐっ……」
痛みに耐えきれず、臨也は地面に膝をついた。口に手を当ててせり上がってきたものを無理に出そうと咳き込むと、べたついた赤黒い血が手に吐き出された。
 ――― 内臓、やられたか
妙に冷静な思考で、怪我の具合を確認した。新羅に連絡を入れておいて正解だったな。そして壁に手をついて何とか立ち上がると、再度ふらふらと歩き始めた。
 今回の仕事は、ある組織を再度潰すこと。誰かに頼まれたわけでもなく自分の私怨であった。全く復讐というのはよくないものだと思った。往々にして、それは失敗するのがセオリーである。
 もともと一人で向かったこと自体が間違っていたのかもしれない。相手は素人ではないのだ。しかもそこらの人とは違い様々な危ないものも熟知している者たちも多い。危ない道は臨也も幾度となく渡ったが、人数と装備において分が悪かった。しかし協力を仰ぐ理由がない。あえて関与していると言えば静雄だ。手伝うと言ったが、こちらに引き込むわけにはいかなかった。だから断った。危険にさらしたくなくて、パソコンを叩いて嘘を吐いた。そうすれば何とかしておくことが、情報屋の自分がまさか私怨で死を覚悟しての単騎で乗り込みとは思いもしないだろう。そう、結局は私怨なのだ。実際この組織が復活することは無い。情報はすでにその道にリークしてあるし、公開に逮捕されるのも時間の問題だった。
 最初は問題なかった。陽が落ちたのを見計らってブレーカーを落とし、暗闇の中を駆ける。視界の不利は承知の上。建物の構造も把握していたし、体力も十分にあった。しかしその建物は彼らの武器で溢れている。ピンからキリまでの効能を持つ薬品に人体を裂くためのメス、注射に電動カッター等々。臨也も人間である以上傷や薬に長く耐えれる体ではない。襲撃を予想していたのか内部の人間は様々な薬品やメスを白衣に忍ばせていた。それは臨也の予想の範疇であったが、自分の最悪の被害までの予想はつかなかった。何とか建物を脱出した時には腹部は血に染まり、あばらを数本持っていかれ、脚には一本注射が突き立てられた。すぐに抜いたが、液量が減っていたことから体内に入ったことが分かった。
「いたぞっ!こっちだ!」
 ――― まずい!
臨也はナイフを出して威嚇した。そのナイフも彼らの血や脂が付着しており、到底斬れるものではなかった。それでも衝く分に問題は無い。
だが急に動いたのがまずかったようで、息が詰まり下を向いて咳き込んだ。
「げほっ、…か、は」
視界が霞んだ。相手が相手なため、恐らく切りつけてきた刃物に毒関連の何かが塗ってあったのだろう。逃げることを想定しての遅行性のようで、今になってその効果を表してきた。そう臨也は仮定したが。
「……?!」
急に膝が折れた。ナイフも手から滑り落ち、からんと音を立てて地面に転がった。毒にも痛みや苦しみを感じないものはあるが、これは違うとすぐに直感した。
 ――― しまった…!
それは足につけられたごく小さな刺し傷が原因だった。あの液だ。あれはこれだったのか。幸いにも、呼吸器系や循環器系に影響はなかった。完全に捕獲用の薬のようだ。毒でじわじわと殺されないのは結構だが、かえって臨也は動かない体にいら立ちが募った。
 ――― っそ……
立ち上がろうにも脚に完全に回ったようで、意識しても最初から神経が通っていなかったかのように、両足を動かすことができなかった。腕で上半身を支えることはできても、逃げる足がなければ動けなかった。向こうも向こうで自分に対し恨みがあったのは事実だった。
 ――― まずいな……
足音が近づいてくるのが分かった。それは勝利を確信したかのように遅く、確実に地面を踏んでいた。
確実に、殺される。
 ――― どうせなら、静雄君に会ってからにすればよかったかな……?
まさかここで静雄のことを思い出すとは思わなかった。しかも今日は家庭教師として静雄の家に行く日でもあった。遅刻どころか全くたどり着けそうにない。予定ではもっと早く片付くはずだった。死に際に思い出すなんてなかなかドラマチックだな。思わず苦笑いをし、そして覚悟を決めたように、臨也は目を閉じた。
その寸前、路地の入口に人影がよぎった。あぁ、きっと消されるだろうな、可愛そうに。
 もう掴まれてもいいはずの時間が過ぎたが、一向にアクションがない。むしろこちらに向かっていた男たちの足音が変わった。突然騒がしくなり始めたのを聞いて、臨也はゆっくりと目を開けた。
―――何だ?
すると、視界から男が消えていた。しかし影はある。
 
いや、宙を舞っていた。そしてその下には見覚えのある人物が腕を突き上げるように挙げていた。
 
「臨也!」
「……何で?」
 ――― 何で、ここに…
まさに聖夜の奇跡というべきか。臨也は思わず脱力し、地面に座り込んだ。男たちは皆突然現れた静雄の方に向かっていった。
臨也に近づこうとしていた静雄は行く手を阻まれ、そしてぼろぼろの状態の彼を視認して怒鳴った。
「邪魔すんな!」
近くにあった標識を握力で引き抜き、居合抜きのように横に振った。予期せぬ武器の登場に足を止めて回避を図ったがその前に薙ぎ飛ばされた。所詮は頭脳勝負の衆なので力に長けなおかつ策のきかない静雄はまさに悪敵だった。
「ははっ……」
目の前の一方的な闘いを見て、臨也は思わず笑ってしまった。
一瞬だった。一人に一分も掛かっていない。ボールを投げるがごとく人が飛んだ。バッドを振るがごとく標識が振られた。自分の苦労などまったく比にならない。むしろ清々しいばかりの格差だった。
―――本当、規格外……
不意に視界が歪んだ。動きすぎたつけがついに訪れたようだった。そのままふらりと地面に転がった。
 やがて嵐が去った後のような静寂が訪れた。男たちは皆去って行き、静雄と臨也だけが残った。臨也に背を向けて肩で息をしていた静雄だったが、怒りが収まり臨也の存在を思い出して慌てて振り返った。
「臨也、大丈……」
臨也は地面に倒れていた。前に見た時とは違う、異常なまでに不安を煽る姿だった。出血は大分治まっているようだったが、掴んだ手は冷えていた。冬の寒さもあるが、服に隠れていたはずの腕まで冷えていた。
「おい、臨也?」
すぐそばに膝をついて臨也の上半身を起こし顔を覗き込んだ。一瞬瞳は彷徨ったが、静雄の方を見て止まった。
「なんで、ここに?」
辛うじて臨也の意識はつながっていたが完全に静雄に頼っていた。尋ねたが声が小さすぎて静雄は聞こえていないようだった。
「早く病院に……」
ゆるりと手をあげ、臨也は静雄の襟元を引き寄せた。注意も引き、この距離であれば聞こえないこともない。
「自業自得というか、因果応報っていうか、でもまさに九死に一生かも知れない」
「は?」
僅かに聞こえる臨也の言葉に静雄は眉を顰めた。自分にというよりは、臨也自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
「要は、全部俺が馬鹿をやった、ってことだよ」
臨也は静雄に付いた自分の血を見ながら、幾分出血の減った腹部に手を当てながら薄く笑った。
「これは、危ないかもね……」
痛みが度を越して感覚がおかしくなっていた。痛いというのはもはや知識の塊で、脳が意識の遮断を選択しようとしていた。
そこに馬の嘶きが響いた。思わず何事かと静雄は振り返った。
都市伝説がすぐそこに止まっていた。
 ―――首なしライダー?
バイクから降りるなり、速足に真っ直ぐこちらに向かってきた。敵か味方か分からず、静雄は臨也の身体を抱き寄せた。
「大丈夫……味方だよ」
臨也は静雄の腕を軽くつついた。
首なしライダーは膝を折ると、袖口からPDAを出した。
『お前、何やっているんだ』
「まぁ、そこは後で……とりあ…ず……」
新羅の所までよろしく。
そう続けたかったのだろうが、はっきりとその言葉が聞こえることは無く、臨也は目を閉じた。臨也、と声をかけたが返事はなかった。静雄は一瞬背筋が凍ったが、セルティは冷静に臨也の手首を掴んだ。弱いがしっかりと脈はある。
『大丈夫。気を失っただけだ』
それを見て静雄はほっとした。そして続いた一文に一つ頷くと、サイドカーに臨也を乗せて黒いバイクの後ろに跨った。

 
 次に目が覚めた時、臨也の目に入ってきたのは新羅の家の天井だった。
 ――― なーんか、前もこんなことあったなぁ……
あの時は自分の家だったけど。臨也は心中でごちた。
鎮痛剤は十分に効いているようだが、背中と脇腹の違和感はどうしても拭えなかった。そっと手を這わすと包帯が丁寧に巻かれていた。
「…ってて」
横を向き肘を支えに起き上がり、大きい枕を背もたれにして臨也は体勢を変えた。外に目を向ければ、あの晩のことがまるで夢であると思わせるくらいに、清々しい青空と街の景色が広がっていた。高層マンションの上部のため人間の姿までは見えないが、何もないよりは良かったかもしれない。
 背後で扉の開く音がした。顔だけそちらに動かすと新羅が入ってくるのが見えた。
「起きたみたいだね」
手には朝食と思わしきものを乗せたトレーがあった。新羅はそれを傍にあったテーブルに置き、ベッドの横に置かれた椅子に腰を下ろした。
「今何時?」
「朝の九時半。ついでに言えば君の記憶している日付から二日ほど進んでいるよ」
「二日も寝てたのか…」
そんな感覚は全くなかった。確かに言われればところどころ関節が動かしにくかった。
 新羅は新聞のある面を臨也に見せた。
「彼ら捕まったよ。いろいろヤバいものが見つかっちゃって、そのまま大検挙」
「そう」
「流したんだろう。あそこの情報」
やれやれと言わんばかりに新羅は両手をあげ、首を振った。どこまで危ない橋を渡るのか。
それを見て臨也は笑った。
「こういうことも予想しておかないと情報屋なんてやっていけないからね。かなりの時間を費やしたんだから。でもたまにはこういうのも悪くないと思っているよ」
「大怪我することがかい?」
「いや?恨みをかうのは当然なことだ。誘導してそのまま従ってくれる奴もいれば、今回みたいにざっくり来るやつもいる。はっきり言って今回は俺の完全な失敗だ。まぁ、何事もなくことが進むのは結構なことだと思うけどやっぱり刺激ってほしいよね」
果たしてそれは本心なのか怪我をしたことへの言い訳なのか。新羅はそれを聞き流しながら答えた。そして意味深い一言を口にした。
「君はそう思っていても、そう思わないやつもいることを忘れない方がいいよ」
嫌な予感が臨也の背を走った。まさか。いや、でも。
「……それはどういう」
「入ってきなよ」
すると、扉が控えめに開けられた。そして現れたのは。
「よぉ」
「!」
臨也は息をつめた。嫌な予感が当たってしまった。
静雄だった。今一番会いたいようで、一番会いたくなかった。
「じゃ、僕は向こうにいるから」
「おい、新」
引き留めるも空しく、臨也の手が届く前に新羅はぱっと身を翻して部屋を出て行った。代わりに静雄が今まで新羅がいた位置に立った。
「じゃあね」
ぱたんと扉は閉じられた。
静雄からはわずかに冷たい外気が感じられた。つい先ほど来たのだろう。コートを着て口元を隠すようにマフラーを巻き、手はポケットに入れられていた。肩には鞄と紙袋が掛かっていた。いったい自分は何度彼に会って驚かなければならないのか。臨也は頭を抱えたくなった。
「あー、静雄、君?」
「……」
返事はない。無言で見下ろしてくるままである。その眼は厳しい。鋭く、そして重い。いたたまれなくなり、臨也は少し後ずさりした。
「なんかすごく怒りのオーラが見えるなぁ、なんて」
あまりの重圧に耐えかねて軽い調子で言ってみれば、かえって気に障ったようで静雄の視線はさらに厳しいものに変化した。
「そりゃそうだろうな、俺は今キレそうなのを我慢してるからなぁ」
「俺の命無いね」
臨也は本気で顔が引きつった。静雄の怒りの表情は結構、いやかなり怖かった。そもそも長身で力が強いのだから、迫力があった。ところがその表情は溜息一つで一瞬にして消え去った。静雄は荷物を足元に下ろして、椅子に静かに座った。そして俯いたまま言った。
「本当、心配したんだからな」
「……ごめん」
その態度の急変についていけず、臨也は視線を泳がせて曖昧に返事を返した。しかしその返事に静雄は不満だったようで、すぐに切り返した。
「謝ってすむか。時間になってもお前来ないし、電話かけてもでねぇし、嫌な予感がして街ん中また走り回って、俺が通らなかったらお前、死んでたんだぞ」
「うん、本当あの瞬間は聖夜の奇跡とやらを本気で信じたよ」
あの状況で静雄が現れるなどまったく考えようもなかった。決死とまではいかないが、ある程度の重傷は覚悟の上だった。メスで切られ薬を打たれ拳を受けた。一般人としては重傷だ。
――― パソコン叩いたから、引き下がったってのに
俯き、静雄は膝の上で拳を握った。やはり無理を言えばよかった。そんな考えが頭の中を巡った。このどうしようもない感情を今言わないでいつ言うべきか。静雄は小さく息を吸った。
「……怪我したお前を見た時どうしようもなく焦った。何もできない自分が悔しかった。このまま目を覚まさないんじゃないかって不安だった。あの時見つけられなかったらって思うと今でも怖くなるんだよ。自覚があるかって言われたらまだ自分でもよく分からないしこれがそうなのかもわからないけど、俺は臨也がっ」
だんだんと速くか細くなっていく静雄の言葉に臨也は目を見開いた。しかし、その先はなかった。静雄は小さく笑った。
「って、例外の奴なんかに言われたって、「それって前に俺が言ったことに対する返事と捉えてもいいってこと?」……は?」
返事?返事ってなんだ?静雄は目を丸くして臨也を見た。
「俺は、例外なんだろ?」
「そうだよ」
「返事、って」
何が何だかわからないといった様子の静雄を見て臨也は苦笑した。
「多分、俺の例外って言葉の意味は静雄君が思ってるのと真逆だと思うよ」
「は……ッ?!」
臨也の意図に気付き、静雄の頬は紅潮した。あの時考えた、ありえないと思っていた以上のことが今目の前で起きている。
「うん、俺も馬鹿だった」
可能性を狙って、敢えて誤解を招くような言い方をしたのかもしれない。臨也は静雄の頬に手を伸ばした。そろりとなぞると、静雄は目を伏せた。
 臨也は一音一音、丁寧に発音した。
「好きだよ、君が」
「……俺は」
言葉が終わる前に、臨也はそのまま手を首の後ろに回して手前に引いた。そのまま静雄の顔は臨也の方に動き、触れるか触れないかの至近距離で止まった。目を開くと、真っ直ぐな視線が自分に向いていた。最初に感じたような違和感は何もない。これは嘘じゃない。
「断るなんて許さないよ」
「……横暴、だな」
静雄は臨也の手を取ると緩く握り、そのまま肩口に顔をうずめた。薬品臭い中に、あの時消えかけていた臨也の匂いがちゃんとあった。そしてそのまま臨也は後ろに倒された。
「静雄君、俺結構重傷なんだけど」
「るせぇ、黙ってろ」
背中や腹が悲鳴を上げるが、鎮痛剤のおかげで耐えれないものではなかった。それ以上に優先すべきものが今自分の腕の中にあるのだ。肩から感じられる温かさを、臨也はあえて追求しなかった。
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No.157
2012/01/07 (Sat) 22:27:59

第十話。とりあえず完結。


 その日は朝からさわやかな快晴だった。これで着納めとなるだろう制服に袖を通し、在学時と変わらない着崩しで、玄関先の鏡の前に立った。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
静雄は母親に見送られながら、家を出た。
 国公立二次試験合格発表日。多くの受験生たちが喜び、悲しみ、涙を流す一日である。
 静雄は発表開始時間に合わせて家を出た。すると、冬の寒さがまだ残る冷たい風が一筋吹き抜けた。思い返せばこの一年、今までにないいろいろなことがあった。家庭教師に会い、喧嘩が減り、銃で撃たれ、そして恋をした。

会場は大勢の受験生達で賑わっていた。少し離れたところで様々な塾や予備校がのぼりを持って立ち案内をその腕に抱え、大学側の役員たちが入学書類などを準備していた。
――― 暇だ
周りを見れば家族や友人と来ている学生が多く、静雄は近くにあった花壇の縁に座った。丁度開示される場所の正面あたりだが、そこから掲示を見るには遠すぎる距離であった。
 ――― 臨也、来てないかな
少し期待を持って辺りをぐるりと見まわしたが、彼らしい人物は見つからなかった。代わりにここに何の用事もないはずの人物が自分に近づいてきていることに気づいた。
「やぁ、静雄」
そう言って静雄の前に立ったのは、新羅だった。真っ白な白衣を着ていたが、それが仮初であることを静雄は知っていた。
「久しぶりだね、学校ほとんど来なくなってたし」
「そうだな」
「四六時中勉強してたのかい?」
「いや、そこそこやっていただけだ。正直、暇だった」
暇ねぇ。新羅は笑った。
掲示される方に目を向けると、立て置かれていた金属製の枠に、大学関係者が十数人がかりで大きな二重の紙を張り付ける作業をしていた。作業で揺らぐ紙の隙間から番号が見えないかと必死になって覗きこむ学生がいた。しかし見えなかったようで、肩を落としていた。
「もうすぐみたいだね」
「そうだな」
「お前はどうだ?」
「僕?まぁやっていけそうだよ」
 やがてその時が来た。二重になっていた紙の上一枚が一斉に剥がされ、それと同時に学生たちがその前に、我先にと言わんばかりに流れていった。
「じゃ、僕はこれで。朗報を期待しているよ」
「あぁ。じゃあな」
新羅は静雄に背を向け、セルティの方に駆けていった。静雄も、人が密集し始めた方へと歩いて行った。身長の甲斐もあって、一番後ろからでも掲示をはっきりと見ることができた。
 ――― 0327、0327
静雄は順に目で追った。0301、0305、0321、0326、“0327”、0339……
「あった…」
喜びのあまり手に持っていた受験票を握り締めてしまった。
「合格おめでとう、シズちゃん」
慌てて受験票の皺を伸ばしていると、後ろから声をかけられた。振り返る前に肩に腕を回された。さらりと視界の端を黒が走った。
「い、臨也……?」
「やぁ」
臨也が来たことにも驚いたが、さらに驚いたのは彼の格好だった。
「これならここにいても違和感ないかなって思ってさ。いやー、まだ着れたとは正直びっくりだったよ」
丈が短めの学ランを羽織り、中には赤いTシャツを着ていた。ズボンはタイトな仕様で、不良っぽさの中にどこかファッション性を感じさせた。傍から見れば確かに仲のいい高校生が友人の合格を祝って肩を組んでいるように見えなくもない。しかし現実は甘くない。
「コスプレ……」
思わずそう呟いた静雄に、臨也はその額を弾いた。
「失敬な。これは俺が高校生の時本当にしていた格好なんだよ」
「いや、二十代の男がそんな格好しててもただのコスプレだろ」
鋭いところをつかれ、臨也は静雄から離れると、小さく溜息をついた。
「…そこは認めよう」
しかし似合わないわけではないのだ。素直に格好いいと思った。絶対高校時代も彼女に苦労していないだろう。コスプレとは言ったが、そのまま出かければ普通に学生としても通用するだろう。静雄にとって意外だったのは、臨也が制服を着崩していたことだった。
「お前のことだから制服だけはちゃんと着てると思ってた」
「そんな真面目な生徒なわけないでしょ。この俺が」
「そうだな臨也だもんな」
静雄に二つ返事で返され、臨也は再度溜息をついた。
「何か納得いかないなぁ」
そう言って臨也は静雄の肩を取って入学書類を渡している場所の方に誘導した。

 
 受付に行って受験番号の一致を再度確認してもらい、無事通過して静雄は入学書類を受け取った。その作業はわずか数分。まだどこか信じられず夢の中にいるようで、足元が不安定な感覚がした。
「本当、信じらんねぇ」
「皆そんなもんだよ」
ほら。そう言って臨也の指した方を見れば、母親に肩を抱かれて泣き崩れる女子学生、友人にもみくちゃにされている男子学生、携帯を高々と上げて受験番号の写真を撮る男子学生などがたくさん見えた。
「あれに比べたら、シズちゃんは冷静だね」
「絶対お前にだけは泣きつかないからな」
その言葉に臨也は苦笑した。じゃあこの手は何かな。臨也はさりげなく静雄の右手と繋がれた自分の左手を意地悪く尋ねようかと思ったがやめておいた。その手がわずかに震えていることも、それでもちゃんと加減して掴んでいることも、すべて胸の内にとどめて置いた。
 駅に行く道はまだ発表を見に行く人ばかりで、駅に向かう人は少なかった。
「さて、折角だし祝いに行こうか」
そう言うと、臨也はポケットから長方形の紙を二枚取り出した。ここ、シズちゃんの行きたいところでしょ。それは六本木にある有名なスイーツショップの優待券だった。その店名に静雄は見覚えがあった。
「それ!何で知って……」
「そりゃあ、素敵で無敵な情報屋さんだから」
そう言ってにっこりと笑った臨也を見て、静雄は心底嫌そうな顔をした。
「うわ、一気にうざさが」
「酷いねぇ」
あれほど雑誌を真剣に見ていたのだから覚えていないはずがない。甘いものが好物なことも臨也にとっては既知であり、あの後すぐに手を回して手に入れていたのだった。
 券をポケットにしまい、臨也は静雄の横に並んで歩いた。
「とりあえずシズちゃんが社会人になったってことで俺も色々解禁されるんだよね」
「どういう意味だ」
静雄は首をかしげた。
「シズちゃんに『何でも』できるってこと」
言葉の意図を掴めず首を傾げた静雄を見て、臨也は腕を掴んで自分の方に引き寄せた。ついでに手を腰のあたりに滑らせた。
「だからキス以上のこと、しなかったでしょ?」
耳元で言われた瞬間、静雄は目を見開き頬を真っ赤に染めた。そして臨也を前方へと突き飛ばした。しかし寸前で離れていったためあまり威力は出なかった。それでも痛いことに変わりはない。
「お前いっぺん死ね!」
「ってて……そんなこと言うと連れてってあげないよ」
ひょいと軽い足取りで暴れる静雄から距離を取り、臨也は券を軽くひらつかせた。
「う……卑怯だぞ!」
「何とでも。シズちゃんが何言っても俺傷つかないし」
「嫌いだバカ臨也」
「嘘だって分かってるから効かないよ」
「…チッ」
「さて、まず手始めに一緒に住もうか」
「何でだ!」
間をおかず静雄は素早く突っ込んだ。
「大丈夫。君の両親には許可もらってるから」
「普通順序逆…って許可貰ったのかよ?!」
いったいどんな手を使ったんだと静雄は頭を抱えた。とりあえず母親が変な考えを持っていないことを願いながら、先行く臨也の背を追った。
No.156
2012/01/07 (Sat) 22:27:11

番外編。副題「胃袋をつかめ」
時系列的には7あたり。

 

 新宿。
 静かな空間で、臨也はコーヒーを片手にパソコンに向かっていた。書類作成にチャット訪問、情報検索、連絡と、やらなければいけないことがたくさんあるのだが本人は至って余裕の表情でキーボードを叩いていた。なぜならチャットと情報検索はラップトップで行い、デスクトップで臨也は情報検索と連絡を行っていた。そして書類作成は波江に任せていた。
 ふと時計を見ると、十二時を幾分か過ぎていた。
「一回休憩して昼食でも食べようか」
「そうね」
波江は書類を上書き保存し、パソコンをスリープ状態にした。そして椅子から立ち上がるとそのままキッチンへと入っていた。臨也はラップトップでの作業を中断した。
「今日は何を作ってくれるのかな?」
頬杖をつき、そう笑顔で尋ねるが、波江の反応は冷やかであった。
「先に言っておくけれど、貴方の注文を聞く気はないわ」
「いや、俺は別に何でもいいよ。人が作った料理なら」
そう言うと、臨也は情報検索のため、デスクトップの画面に視線を移した。
 キッチンに立ったまま、波江は溜息をついた。そして独り言を臨也に聞こえるように言った。
「サラダとインスタントにでもしてやろうかしら」
「それは勘弁!」
がたりと椅子から音を立てながら立ち上がり、臨也は大きな声で拒否を示した。
「冗談よ」
しれっとした態度で波江は返し、棚から食パンを取り出しトースターに入れた。そして冷蔵庫からハムや卵、レタスを取り出した。サンドウィッチである。
 ――― 波江さんが言うと、洒落にならないからなぁ……
少しだけ嫌そうな顔をしながら、臨也は椅子に落ちるように座り、ほっと息を吐いてパソコンに意識を戻した。
 
 
 
   *   *   *
 
 
 
 授業後。
たまたま下駄箱前で鉢合わせた静雄と新羅は、そのまま途中まで一緒に帰ることにした。
「掃除はもう終わったのかい?」
静雄は教室の掃除当番だったので、遅くなると新羅は考えていた。特に今日はごみ捨ての日で更に時間がかかるはずだった。
 静雄は手を挙げて軽く握り拳を作って言った。
「ごみ捨てじゃんけんで勝ったから任せてきた」
「なかなか原始的な方法だね」
思わず新羅は苦笑してしまった。
「いいじゃねーか。全員納得してたんだし」
外靴に履き替えてエントランスを抜け、大勢の下校の生徒たちに混ざって門を抜けた。
すると不意に声をかけられた。
「よろしくおねがいしまーす」
「……」
「…どうも」
そう言って差し出されたパンフレットを、何の準備も用意もしていなかった二人は思わず受け取ってしまった。はっとそのことに気づいた時には、声をかけた女性はもうすでに別の生徒に声をかけていた。
 パンフレットに目を落とせば有名な進学塾の冬期講習勧誘の冊子などが入っていた。ぱらぱらとめくっていけば各講座の説明があり、さらに進んでいくと細かい字で日程表があった。歩きながら目を通すようなものではなかった。
 池袋中心街に向かって歩きながら、静雄は袋の中に一緒に中に入っていたものを取り出した。それは有名な某コーヒー会社が作っているチョコレートだった。しかし何かが違った。
「何だこれ」
外からでは分かりにくいが、触って形を確かめると、頭の中に描いたイメージと異なり、妙にへこんでいたり伸びていたりするところがあった。
「チョコレート、だよね?」
新羅も一緒になって触ると、やがて思いついたように一言。
「成程、『溶ける』に『解ける』をかけたってことか」
その引っ掛けに、静雄は納得はした。しかしやはりものは溶けたチョコレートなのである。
「…嫌がらせにしか見えねーな」
眉を顰めながら静雄はチョコレートを目の高さまで持っていった。
「まぁ、味は変わらないからいいんじゃない?」
「いや、なんとか現象っていって変わるんだろ?品質」
「あぁ、“ブルーム現象”ね」
「おぉそれ」
「でも大して変わらないよ」
細かいなぁ、新羅は苦笑した。静雄はそのチョコレートをパンフレットの入っていた袋に戻すと、それをまた鞄にいれた。
「じゃあ静雄、また明日」
「おう」
交差点で新羅は横断歩道を渡り、静雄はそのまま歩道をまっすぐ進んだ。ふと振り返ると新羅が手を振っていたので、静雄は軽く手を挙げて返した。そしてこの時にしか作らない料理のための材料などを買い揃えに行くため、静雄の足はスーパーマーケットに向かった。自然と足取りが軽くなり、気分がよくなった。
 スーパーに入ってプラスチックのかごを手に取り野菜売り場に出向いた。丁度家にある野菜が減っていたので、トマトやキャベツ、人参、馬鈴薯などを適当にかごに放り込み、卵のパックをかごの隅に置いた。ついでに牛乳やヨーグルトなどの乳製品も見て回った。肉や魚はまだ冷凍庫に入っているため流し、お菓子売り場に来た。ポテトチップスや箱詰めのクッキーなどを二、三選んでかごに入れ、新商品もチェックしたがめぼしいものは見つからなかった。
 それより、少し変わった光景が目に入った。
 静雄より年上なのだろう、若い男女が食玩前で熱心に商品を品定めしているのが目に入った。こんなところじゃなくサンシャインの向かいにでも行けばいいのにと静雄は思いながらその後ろを過ぎ去った。
 一通りかごの中身を確認してレジに向かおうとしていたところ、向かいから歩いてきた男を見て静雄は足を止めた。
「あ」
「お」
ニット帽をかぶったその男も静雄に気付いたようで足を止めた。彼も静雄と同じようにかごを持っていたが、変に似合っていた。
「あー、平和島静雄で合ってるよな?」
「はい」
名前を言ったその声に敵意を感じなかったので、静雄は普通に返した。もっとも、見覚えがあったことも多少影響していたのかもしれない。
「文化祭の時の人ですよね」
「あぁ。俺は門田だ、門田京平」
臨也とは同級生、いや、同窓生か。どちらも正しいのだが門田はあえて後者を選んだ。
彼の醸す雰囲気は職人のようだった。一本筋が通っており、その道を違わない強い人だと静雄は感じた。
 ――― 臨也と同い年には見えねーな……
かといって老けて見えるわけでもない。門田に比べて臨也は軽く見えてしまうのだ。臨也が現代の若者と例えれば、門田は一昔前のといった具合だろう。決して悪い意味ではない。
門田は静雄のかごの中身を見て言った。
「夕飯の材料か?」
「まぁ、そんなところです」
静雄も門田のかごの中身を見た。ぱっと見た限り、焼肉でもするのだろうかといった内容だった。
「俺もだ。連れが煩くてな」
「連れ?」
静雄は周りを見るが、門田の近くにそれらしい人は見当たらなかった。同じ年頃の同じような男性を想像した。
 しかし、突然大きな声が聞こえた。
「えー!スーパーにも置いてあるのこれ?!」
「大発見ですね!」
その聞こえてきた声に、門田は呆れを含んで溜息をついた。
「あいつら…」
「……」
声のした方は子供向けの食玩が置いてある方、ついさっき通ったばかりであった。確かあそこには若い男女がいたはずだった。彼らがその連れなのだろうと静雄は思った。しかし門田との接点がてんで分からなかった。
「引き留めて悪かったな」
「いえ」
「じゃ」
門田は静雄の横を抜け、お菓子売り場の方に入っていった。静雄はレジを通り、買ったものを袋に詰めてかごを戻しスーパーを出た。途中、門田の怒りの一言が聞こえたような気がした。
 
 
 
   *   *   *
 
 
 
 副職もとい、本職を片付け、臨也は静雄の家に向かって歩いていた。豊島区とはいえ、池袋から離れればそれなりに落ち着いた住宅街が広がっている。
 角地に立つその家はなかなかに上品なデザインで、庭も母親の庭づくりできれいに整えられていた。そして、いつも止まっていたコバルトブルーの小型乗用車がなかった。
 留守かとおもいつつ臨也はその玄関の門前に立ち、インターホンを一回押した。するとその予想は外れ、返事があった。
 向こうからはこちらの姿が見えるインターホンだったので、前置きはなかった。
『今開ける』
その一言で切れた。そして聞こえてきたのはいつもの女性の声ではなく、静雄の声だった。当然、玄関から出てきたのも静雄だった。
「こんにちは」
「やぁ。珍しいね、静雄君が出てくるなんて。お母さんは?」
門を開け、きれいに連なった煉瓦の道を進んで、臨也は玄関に着いた。
「仕事が遅くなるって」
臨也を招き入れ、静雄は靴箱からスリッパを出した。
「そっか、大変だね」
出されたスリッパに足を通し、臨也は静雄の後を追った。
「静かだね」
「幽も収録がとか言ってたからな。父さんはもとから単身赴任中」
階段を上がり、二階にある静雄の部屋に入った。
「そういえば、臨也は夕飯とかどうしてんだ?」
「適当に。昼は自分で作るときもあるけど夕飯はほとんど買って帰るかな」
デパ地下はなかなか美味しい料理がそろっているから。臨也はそう付け加えた。
中食、というと買い弁に近い生活を送っているのだろうか。見た目に寄らず食に関心がないのだろうか。
――― まぁ、新宿に住んでれば美味い店も多いだろうな。
けれど、それが身体によいものとは限らないかもしれない。それに、外食ばかりは駄目だ。なんとなくそう思って静雄は言った。
「食ってくか?」
「いや、それは悪いよ」
「どうせ中食なら食っていけばいいじゃねーか」
自分でも驚くくらいのきつい言い方をしてしまった。臨也の方も驚いたようで目を見開いていたが、やがて諦めたように、しかしどこか嬉しそうな顔で言った。
「じゃあ、いただこうかな」
 
 
 
*   *   *
 
 
 
 勉強後、二人はリビングに降りた。陽も完全に落ち、窓の外は真っ暗だった。
 静雄は一緒に降りてきた臨也の方を振り返って言った。
「ちょっとかかる」
「じゃあテレビでも見ていればいい?」
「おう」
そう言って静雄はキッチンに入った。
臨也はリビングのソファに座りテレビをつけた。するとチャンネルは丁度知識ある芸能人たちが出演するクイズ番組が始まったところだった。テーブルに置かれていた今日付けの新聞を開きテレビ欄を見るが、特に目ぼしい番組はなかった。テレビ台の下で動いているDVDレコーダーは吸血忍者カーミラ才蔵を録っているのだろう。そのままのチャンネルでいいかと思い、ふっと視線をテレビに戻して臨也は驚いて新聞を落とした。
「ッ?!」
解答者として、ガスマスクに白衣という特徴的すぎる男が出演していた。テロップにはしっかりと「岸谷森厳」と書かれていた。
「どうかしたか?」
「い、や……何でも、ちょっと驚いただけ」
この人こんなところにも出てくるのか。臨也は眉を顰めた。
 そして観ていると、森厳の解答率は恐ろしく高かった。おそらく妖精やらオカルトを調べていくなかで身につけた予備知識が功を奏しているようだった。臨也もこの人のお蔭で、いやこの人のせいでどうでもいい知識まで身についていったのだが。
 一方でキッチンに立つ静雄は、といた卵をフライパンに伸ばし、さっと軽く火を通してケチャップを混ぜたご飯の上に被せた。まだ包めるほどの技術はないので、被せるのが限界である。その上に別の鍋で作ったデミグラスソースを掛け、ダイニングテーブルに並べた。生野菜のサラダとコーンスープもその横に並べた。最後に食器棚の引き出しからスプーンとフォークを取り出して並べた。
「できたぞ」
「はーい」
臨也はもう見るかと言わんばかりにさっとテレビを消し、ダイニングテーブルに向かった。
 テーブルに並んでいたのは。
「オムライス…」
「こういう時にしかつくらねーんだ」
「お母さんが遅くなる時ってこと?」
「うん」
静雄は自分の皿に乗ったオムライスをすくって口に運んだ。どうしても目に入ってしまう野菜サラダから若干目を背けながら、臨也もスプーンを手に取った。
 
「美味しかったよ、ご馳走様」
「お粗末様」
静雄は空になった皿を重ね、流しに置いた。
「手伝うよ」
「いや、いい。客だし」
「そう?」
椅子を引いて立ち上がろうとしたが断られ、臨也は行き場無くそのまま椅子に座った。
水の流れる音、スポンジが食器を擦る音、食器同士のぶつかる音を聞きながら臨也は静雄の背中を眺めた。
静雄の作ったオムライスは美味しかった。図っていないのは事実だが見事に臨也の味覚の的を射ており、どんなに質のいい料理店のものより、波江が作ったものより、多分母が作ったものより、今まで食べた中で一番だった。
――― 「胃袋を掴まれるってこんな感じなのかな」
そう思ったのだが、それは確かに口から声を伴って出ていた。
「は?……!」
二人しかいない静かな空間。意外にもその声は通ってしまった。静雄は振り返って臨也を凝視した。なぜ振り返ったのだろうかと臨也は思ったがしばらくしてそのことに気づき、まさか言ってしまうとは思わなかった臨也も驚いて固まった。幸い食器が悲惨になることは無く、空しく水道水が皿を打つ音がしばらくの間響いた。
暫くして水を止めて、ぎこちない動作で食器棚に皿を戻し、ついでにグラスを二つ取り出して、冷蔵庫から出した麦茶を注いだ。
 ――― 冗談だ、冗談。
そう言い聞かせるが、一度誤解した自分の心臓はなかなか治まらなかった。いやそもそもこの誤解こそが誤解ではないのかと静雄は思った。女じゃあるまいし他意があるわけでもないのだから。
すると静かな中突然嫌な音が鳴り、二人して思わず驚いた。
「大丈夫?」
「あ、あぁ。コップ潰しただけだ」
薄いガラス製のコップは砕け、中に入っていた麦茶が手を濡らした。なかなかにすごい一言だがどちらも動じることなく、静雄は軽く水で流し、臨也は粉々になったコップを目についたビニール袋にまとめた。
「怪我はなかった?」
「ない、大丈夫」
静雄は食器棚からもう一つアルミ製のコップを出して注ぎ直し、席に着いた。
臨也は生き残ったグラスをを手に取ると、無言でお茶を啜った。
 ――― 本当、何言ってんだよ俺。
心の声が口から出るとか本当、情報屋として失格だろ。
 向かいの静雄に目を向ければ、向こうも向こうでアルミのコップを手に持ったまま止まっていた。
 麦茶の表面をゆらゆらと蛍光灯が揺らいでいた。
 ―――胃袋を掴まれたってことは、本当に美味しく思ってくれたってことだよな。
そう滅多に聞く言葉ではない。それに、他人に腕を振るったのは初めてだったので、静雄は言いようのない嬉しさに浸った。
No.155
2012/01/07 (Sat) 22:26:11

しょっぱなから注意書き。
教師パロです。
静雄→体育教師
臨也→養護教諭
というなんとも微妙な設定。

 体育科教員がジャージ姿でいるのは別段不自然なことではない。各々有名なスポーツブランドのポリエステル製のジャージを好きなように着くずしている。
 今年赴任してきたばかりの新米教師平和島静雄も例外でなく、袖と、ズボンの脇に二本の白ラインの入った、ギリシアの某島で見つかった女神の像と同じ社名のロゴの入った黒いものを、袖を捲って着ていた。自前の長身とモデル並のスタイルでジャージさえも見事に着こなすが、本人は至って無自覚無頓着この上なかった。金髪なのは先生としてどうなのかと思われるが、一度校長先生に注意され地毛の色にに戻したことはあった。しかし生徒から思いがけない文句を言われ、校長からはなぜか了承が出て、結局金髪に戻したのであった。もっとも、彼は裏で糸を引く人物を確実に察知していた。

 本日は全校生徒が楽しみにしていた球技大会の日である。優勝すれば校内施設の利用優先権がかかっているだけに皆燃えている。たった一ヶ月の権利だが、無いに越したことはない。
 静雄の担当は男子バスケットボールだった。しかし次の試合までに少し空き時間ができ、校門前まで足を運んだのがつい五分前。
「やぁ、平和島先生」
今では校内で禁止されてしまった煙草を、門の外でフェンスを背もたれにして立ち紫煙をふかせていると、生徒にとって魅力的な、静雄にとって苛立ちしか与えない声が背中にかけられた。振り返って返事をするのも面倒に思い、静雄は無視した。
「今日もいい天気ですねー」
空は快晴。雲ひとつない。洗濯日和の確かにいい天気だ。「テメェがいなきゃな折原先生」
静雄は煙草を口から離し、了承してもいないのに横に立った白衣の教員折原臨也を睨んだ。
「ひどいなぁ、俺結構愛されてるのに」
確かに臨也の容姿は静雄に劣らない。むしろ勝っているのかもしれない世間的には。だが静雄にとっては言語道断。なぜこのような人間が愛されるのかわからないどころか理解不能である。静雄は再び煙草を口にくわえようとし、同時にそれを奪われた。
「体育教員なのに煙草はだめだよー、シズちゃん」
最後の呼び方に、静雄のこめかみに青筋が立った。実は静雄は、臨也とは同輩の仲であった。お世辞にも仲が良いとは到底言えない。
「テメェ・・・大体、今日は球技大会だろ」
職務怠慢か。そう言ってやれば否定の言葉が返ってきた。
「俺はまじめに仕事しようとしたよ?でも俺がいると怪我人が保健室に入れないって新羅に言われてね」
本当、馬鹿だよねぇ。
臨也は侮蔑の色をたたえた笑いをこぼした。確かに、常時の保健室は常に女子生徒であふれている。まぁ、大半が臨也との会話目当てなのだが。時折正しい怪我人が来くるのだが、女子たちに冷たい目で見られるという何とも非道な仕打ちを受ける羽目になるのが日常である。

 ふと、臨也が話題を切り換えた。表情はいつもの食えない微笑に変わっている。
「そういえば、今日最後のイベントで生徒バーサス教員のバスケットガチバトルあったよね」
「あー、そんなもんもあったな」
めんどくせぇ・・・。静雄はポケットに手を突っ込み溜息をついた。スポーツは嫌いではないのだが、如何せん人並み以上の力を持ち合わせているため、ゴールを壊すことなど朝飯前だ。なのに選手に推薦されてしまったのだ。
「応援してるよ」
「・・・は?!」
臨也の言葉に、静雄は激しく動揺した。
「だって、教員が負けたら今度の試験を簡単にしなきゃいけないんだよ、まぁこれはどうでもいいけど、生徒が選んだ先生が一カ月担任やらなきゃいけないんだよ」
俺とって食われちゃうかも。最近の高校生すすんでるからねぇ。
臨也はわざとらしい演技で身を震わす。それを静雄は、動揺が収まり明らかに引いた目で見ていた。
「新羅より、お前のほうが変態だな」
「ちなみに負けたら切り刻むからね、シズちゃん」
臨也はそういうと、まるで置き土産をするかのように、静雄の手の甲にズボンの上からナイフを刺した。当然血は出るし、痛い。
「・・・・臨也アアァァァっ!!」
「あっはは!そうこなくっちゃ!」
白衣を翻し走る臨也の後ろを、静雄もまた全速力で追いかけた。

No.154
2012/01/07 (Sat) 22:25:32

決していかがわしいものではない(笑)

臨也が池袋にいる。妹たちと一緒にいる。
 臨也:普通に双子のお兄ちゃんやってる。
 静雄:臨也の事そんなに嫌いじゃない。何か異常に普通。
 舞流:主に料理担当。性格はほぼ一緒。
 九瑠璃:主に洗濯掃除担当。同上。(字合ってるかな?)

 今日も仕事帰り、臨也は近くのスーパーマーケットに来ていた。
 かごを乗せたカートを引き、生鮮食品売り場から順に店内を回っていく。片手には達筆とは言えないが読める字で書かれた買い物メモを握っていた。先日高校生になった妹、舞流の手書きである・・・と言うのは嘘で、舞流が言ったものを書きとった臨也の手によるメモである。朝食の時間に広告とにらめっこしながら呟いていた独り言を書きとるのが最早臨也の朝の習慣となりかけていた。自分の決めた順路に沿ってスーパー内を歩いている途中、ちょっとした出来心で新商品のおいしそうなチョコレート菓子を二個かごに放り込んだ。その行為をを顧みて、決して妹のためではないという嘘を自分に言い聞かせた。
(で。ええと、人参玉葱キャベツ大根トマト胡瓜白菜。それから・・・)
臨也はカートに乗せたかごの中身を一つ一つ、メモと照らし合わせていった。かごの中の状況も手慣れたもので、見やすく且つ無駄なくきれいに入れられていた。
(食パンにリンゴに苺・・・あぁ、あとヨーグルトか)
臨也は乳製品が並べられている方へと向かった。





 しかし、そこであまり、いやかなり遭いたくない人物と遭遇してしまった。背中を向けていたのでそのまま気づいてくれるなよそのまま通り過ぎてくれよと臨也は願った。が、逆にその強い視線を感じ取ったのかその人物は後ろを振り返って臨也とばっちり目を合わせた。
「・・・よぉ、ノミ蟲」
「や、やぁ、・・・シズちゃん」
 長身痩躯で金髪の、バーで働く人が着る制服を着た平和島静雄その人物がいた以上そのままその場を過ぎ去りたかったが、生憎彼の前には臨也の目的のものが陳列されていた。
 静雄はそのまま棚に顔を向け、牛乳に手を伸ばした。頬に痛々しくもガーゼが張り付けてあり、まくりあげた袖から伸びる腕には丁寧に包帯が巻いてあった。どうやら新羅の所からの帰りらしい、臨也は思った。
「奇遇だね、こんなところで会うなんて」
牛乳の賞味期限を確認しながら、静雄は言葉を返した。「てめぇは何でここにいる」
「見ての通り、買い物さ」
臨也はいつもの調子で両手を広げて見せた。しかしカートを片手に、背景がスーパーマーケット内ではどんな恰好をしても格好が悪い
「・・・似合わねー・・・」
 静雄は、臨也の押しているカートに乗っているかごの中身を、今朝の広告に載っていた特売品やら新商品などが整頓されて入っている状況を見て更に一言。
「お前、」


主婦みてーだな


その一言に、臨也は一瞬固まり、そして深いため息をついた。
「シズちゃん、とりあえず君の脳内がかわいそうなのはよーく解った」
「んだとコラ」
「というか、俺作ってないし」
その言葉に、静雄は少し驚いた。
「そうなのか」
てっきり一人暮らしをしているものだと、静雄は思っていた。
「じゃあなんでそんなに買ってんだよ」
「頼まれたんだよ、マイルに」
「あぁ」
静雄の頭に思い浮かんだのは、伊達眼鏡をかけた見かけ文学少女の快活な少女が思い浮かんだ。しかし彼女が料理を作れるとは到底思えなかった。
「マイルが飯作ってんのか?」
「クルリは洗濯とか掃除とか」
あ、マイル料理上手いよ。今度頼んでみれば?きっと喜んで作るだろうね。
「そういえばお前がコンビニとかで買ってるの見たことないな」
「買い弁じゃ栄養がって」
「妹に栄養管理されてんのか」
「そこ煩い」
「テメーは何もしてねーのか、お兄ちゃん?」
「二人の手伝い位はするよ。金銭面は俺担当」
「一番楽そうだな」
「誰も文句言わないよ」
乳製品売場の前で顔の良い男が二人肩を並べて物色もとい商品の吟味をしている奇妙な光景の間に割って入った携帯電話の音があった。それは臨也のものであり、着信の名前を見てとるかとらないか一瞬迷ったが取らないと後がうるさいと思い通話ボタンを押した。
「はい」
『あ、イザ兄?』
臨也はすぐさま携帯電話を耳から離した。そして音量を最も小さくして再び耳に近づけた。電話の相手は舞流だった。「用件は?」
『うん、あのね、ヨーグルトはブル○リアよろしく!牧○の朝とか○ノンとかはダメだからね!』
「そういうことはちゃんと言葉に出すか紙に書けって言ってるだろ」
『できれば朝○とかでもいいんだけど、』
「ああそう、じゃあね」
そこで、臨也は携帯電話を切った。そうでもしないと延々とヨーグルトの銘柄からさらに話が発展して結局ぐだぐだと通話料金が重ねられるだけの会話になっていくことを経験的に知っていた。
「何だ」
「マイル。ヨーグルトの指定」
「これか?」
そう言って静雄が臨也の前に出したのは、まさに舞流が欲しいと言っていた銘柄であった。
「よくわかったね」
「いや、聞こえた」
「・・・そう」
なんとなく、臨也は恥ずかしい気分になった。

No.153
2012/01/07 (Sat) 22:24:47

文字通り、箱入りの静雄さんが臨也さんのもとに送られてきた。


 その日、折原臨也は一人で仕事をしていた。朝からコンピューターの前に座り、淡々とキーを叩いていた。室内は静かそのもので、仕事もはかどっていた。
 ふと、そこにインターホンの音が鳴り響いた。臨也は手を止めた。今日この時間に来る予定の関係者はいない。かといって誰かが訪ねてくるような時間でもない。椅子から立ち上がり、臨也は内蔵カメラからドアの外の様子をうかがった。しかし玄関口には誰もいなかった。悪戯にしてもこんなところまで来てする必要性はない。何せここは最上階に近い。そう思い、臨也はとりあえず玄関の扉を開けた。
「やあ折原君」
青相手すぐにドアを閉めようとした。しかし足が挟まれて完全に扉をしめ切ることが出来なかった。不用意に開けるんじゃなかった。臨也は一つ溜息をついて、扉を引く手から力を抜いた。そうすればくぐもった声の悲鳴が聞こえた。それもそうだ。足は扉を開けようと外に力を入れていた。そのつり合いがなくなれば当然勢い良く開く。ちょっとした臨也の仕返しだった。
 見れば、そこいたのは見間違えようのない、ガスマスクに白衣を着たなんとも奇妙な男であった。彼ははかなり大きな段ボールを横に立っていた。
 臨也は肩を竦めた。
「何の用ですか、森厳さん」
「君にプレゼントだ」
そう言って森厳が指したのは、横にあった大きな段ボール箱であった。「この箱が、ですか?」
一見すると何の変哲もないただの段ボール箱である。特に傷も汚れもない。郵送などの際によく使われる扱いを示したシールが上部に貼ってあった。どうやら中身は「割れもの」で「なまもの」だそうだ。臨也は何か引っかかった。この箱の大きさでなまものと言われると、かなり限られてくる。箱の大きさはそれこそ、大の大人が一人易々と収まりそうなサイズである。
 臨也の背中を嫌な汗が伝った。森厳の方を見ると、微々たるものだが体が揺れている。それも楽しそうに。脳が恐怖から全力で受け取り拒否を命じている一方、心は面白さゆえに受け取り承諾を訴えていた。
「まさかとは思いますが、中身はもしかして」
「煮るなり焼くなり好きにしたまえ。あ、でも殺してはいかんからな」
そう言い残して森厳はそそくさと早足でエレベーターに乗り、下へと去って行ってしまった。断るタイミングを逃した臨也は一度、深く溜息を吐いて携帯電話を手に取った。電話を掛けると、幸運にも今最も頼りにしたい人物がちゃんと出てくれた。
「あ、運び屋?ちょっとお願いしたいことがあるから今すぐ新宿の事務所に来てくれない?本当、至急よろしく」






 数十分後、身支度に少々時間を取ったが、運び屋ことセルティ・ストゥルルソンは新宿の臨也の事務所に姿を現した。彼女がそこで見たものは世にも奇妙などころの話ではなく、狩沢がこの場に居合わせたら文字通り言葉にならない叫びをあげていただろう光景であった。
 あの平和島静雄が、折原臨也に抱きついていた。
「・・・やぁ、運び屋」
「よぉ、セルティ」
 二人はセルティを見上げ、視線の合ったセルティはしばし沈黙した。やがてPDAを取り出し、それを臨也に向けた。
『一体何があったんだ?』
「冷静な対応ありがとう。何があったかどうかは言葉で説明するより示した方が早いよね」
そう言うと、臨也は静雄を自分のうえから退かせて上体を起こした。そして静雄に向かって言った。
「シズちゃん俺のこと好き?」
『何を聞いているんだ臨也?お前は静雄のこと嫌いだろう』
セルティのこの文面は最早驚きによる動揺を通り越して変に冷静になってしまっているだけのことであった。しかしその冷静さをもぶち壊す静雄の一言が待ち受けていた。
「あぁ、大好きだ臨也」
『?!?!?!?!?!?』
そう言って微笑んだ静雄を見て、セルティは素直な感想をPDAに書きなぐった。そしてそれを臨也の顔に押し付けた。
「多分君が言いたいのは『これは一体どういうことだ臨也!説明しろ!』あたりかなぁ。俺だって知りたいよ。開けたらもうこの状態だったんだからさ」








 数十分前。

 セルティに連絡を取った後、臨也は悩みに悩んだ挙句、とりあえず箱を家の中に入れることにした。重かったので半ば引きずる形になっていたが、何とかリビングまで運び、そしてナイフでその封を開けた。その中身を見て、臨也は自分の予想が当たったことを呪った。
 確かに箱の中には平和島静雄が入っていた。とりあえず触って見れば温かく、死体でないことが確認できた。特製の薬品か何かが盛られているのだろう。かなり深い眠りに就かされているようで、試しに頬を抓っても何の反応も示さなかった。着ている服はいつものバーテンダーの服だった。靴もちゃんと履いている。昨日どこかで拉致られたのかと臨也は思った。しかし外傷も内傷も見当たらない。超強力麻酔でも打ち込んだか。それもそれで危険なことだがそれでも死なない静雄の方がもっと危険である。
 さて開けたは良いがどうしようか。そう考えていたところ、ふと箱の中に入っている紙を見つけた。
「えーっと、平和島静雄の目を覚まさすには彼のフルネームを彼が聞こえる程度の声量で持って言いなさい・・・って」
今俺言っちゃったよね。「平和島静雄」って。
恐る恐る箱の方を振り返ると、がさりと音が鳴った。そして先ほどまでまったく無反応だったはずの静雄が段ボールから出てきた。
「・・・・・・」
まだ意識がはっきりしないのか、静雄は立ち上がったまま動かなかった。そして頭が、視線が臨也の方を向いた。向いてしまった。
「や、やぁ・・・シズちゃん」
「・・・ざ、や」
臨也は近くにあったナイフを手に取り、携帯をジーンズのポケットに入れ、いつでも逃げられる態勢をとった。
「目覚めはどうだい?」
「・・・・・・」
「まさかシズちゃんが箱詰めされてくるなんて思ってもみなかったよ」
「・・・・・・」
「ネブラの奴らもなかなか有能な奴らじゃないか。君みたいな化け物を捕まえちゃったんだから」
「・・・・・・」
「でも何でそれを俺のところに送ってくるかなー」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
(何この無言!)
臨也は全く反応を返さない静雄に対し肩を落とした。こんな逃げる態勢を取っている自分が何だか馬鹿馬鹿しく思えてきた。
 ところがそこで突然静雄が動いた。
「ッ?!」
しまったと思った時には時すでに遅し。静雄は臨也の目の前まで来ていた。逃げる道を捨て、右手に持っていたナイフの刃を出し、それを突き立てようと手を前に出したが。
「臨也!」
「・・・・・・はっ?」
臨也はそのまま後ろへと倒れた。フローリングの床に頭を強く打ちつけたが、そんな痛みよりも、静雄の行動は彼を驚かせていた。
何で俺はシズちゃんに抱きしめられているのだろう?
あまりの驚きに身体が動かなかった。そのまま馬鹿力で圧死させられるのかと思いきや、全くそういった力が入っていない。ただ人を抱きしめる時位の力で臨也は静雄に捕まえられていた。
「ちょっとシズちゃん?本ッ当どうしたの?」
もう驚きよりもある種の恐怖しか臨也の中にはなかった。静雄の頭を叩いて退くように指示するが、顔を挙げた静雄の表情を見て、臨也は更に恐怖を煽られる羽目になった。
「臨也、大好きだ」
そのあまりにいつもと違いすぎた表情に臨也は赤面した。





 その後何度か糺そうと試みるもことごとく失敗し、そこにセルティがやってきた。
 場所はリビングへと移り、三人はソファに座っていた。もちろん、臨也の隣に静雄は座っていた。
「本当は家に返してもらおうと思っていたけど、とりあえず新羅の所に連れてってくれないかな?」
「俺は別にどこも悪くない」
会話の限り、静雄は別に記憶がどうこうなっているわけではないようだとセルティは思った。
「行ってくれないと俺が困るの」
そう臨也が言った途端、静雄はあからさまに傷ついた表情になった。
「臨也は俺と一緒にいるのが嫌なのか?」
普通の女性ならば、確実に落ちるだろう。しかし残念なことに相手は臨也である。
「嫌だとかそういう問題じゃなくて。この状況は俺にとっても運び屋にとってもおかしな状況なの。シズちゃんが俺のこと好きだなんて正直あり得ない話なんだって」
「あり得なくなんかねぇ!」
「あり得ないってば!」
『・・・・・・』
最早何をどういっていいか分からず、セルティはとりあえず一言言った。
『臨也も一緒に来ればいいじゃないか』
「は?」
『それで済む話だろう?』
そう静雄に向けると。
「あぁ」
先ほどまでとは打って変わり、静雄は途端に明るい表情になった。
『じゃあ、決定だ』
「行くぞ、臨也」
「え?ちょ、何で俺まで」
臨也は静雄に首根っこを掴まれ、そのままセルティと共に玄関へと向かうこととなった。

No.152
2012/01/07 (Sat) 22:23:55

 俺には兄というものがいる。と言ってもこれは便宜上のものというか発売された順というだけで、俺と兄は顔以前に何もかもが似てない。背だって俺の方が高いし、何より俺の方が何倍もまともに喋る。

「そんな気むずかしい顔しちゃ、いざやくんにきらわれちゃうよ?」
「うるせぇよ」

便宜上、兄にあたるサイケが俺の顔を心配そうに見てきた。別に俺は「臨也」とかいう奴、いやここはマスターとでも言っておいた方がいいか、に嫌われようが好かれようがどうだっていい。むしろ嫌われるのが普通だと思う。マスターは怒りとか悲しみとか愛おしさとかなんかやたら複雑な顔をして俺を見る。兄に聞けば、俺はどうやら平和島静雄というマスターが特殊な思いを寄せている人間に似ているらしい。ついでに言えばこの兄がやったら懐いている寡黙な津軽とかいう奴にも似ているらしい。そんなにこの顔は人気なのか。だらりとソファに寝転んだ状態で自分の色のない髪を引っ張ってみた。静雄も津軽もきれいな金色をしていた。目も、変なピンク色じゃなくて茶色とか、落ち着いた色だった。といってもまだ会ったことはない。マスターや兄のデータで見た限りの絵しかない。会ってみたいとは正直思う。

 そうしていると、兄が上にのっかかってきた。決して軽くはない。

「髪なんかひっぱってなにしてるの?」
「考え事」

すると、突然小さなウィンドウが開いた。
『やぁ、相変わらず仲良いね』

マスターの声だった。

「別に」

そう答えた後、兄が俺の腹に手をついて上体を起こしてウィンドウに向かって喋った。結構苦しい。
「いざやくんおかえり!」
『ただいま、サイケ』

そういってマスターは人のよさそうな笑顔を浮かべた。そして視線が俺へと移った。

『そこでの生活にはもう慣れた?』

そこでの、というのはこの部屋のことを指しているのは明らかだった。俺たちは自分と同じような白とピンクの部屋にいる。ある程度落ち着きはするが、外から見たらまぁ異様な部屋だろうな。

「そこそこ」
『そう、ならいいや』

当たり障りのない返事を返せば、同様の返事が返ってきた。次いで視線は兄の方へ。

『そういえばサイケ、彼の名前はもう決めた?』

そう、俺は名前がまだない。数字以外兄と同じ商品名だから何かしらの呼称が必要だった。普通はマスターが考えるべきところだと思ったがその役はサイケが買って出ていた。というのが昨日までの話。マスターの言葉に兄は大きく楽しそうにうなずいた。

「うん!“でりっく”って呼ぶことにした!」
「なんだその中途半端な欧米人風な名前は」

聞こえてきた変な名前に俺は兄が上にいるにもかかわらず起き上がった。案の定兄は床に転がり落ちた。

『…はははッ!サイケらしいね』
「そこも納得するな」

ウィンドウに向かって俺は大きな声で言ったが、嫌味を含んだ笑みを残してそれは閉じられてしまった。こちらからは開けないのでどうしようもなくなった。

「…いたい」

腰をしたたかに床に打ち付けたようで、さすりながら、涙ぐみ、俺の方をきっと睨んできた。

「でりっくのいじわる!」

そう言い残して、兄は部屋を出て行った。行き先はおそらく、津軽のところだろう。追いかけることを考えても俺にそいつのところに飛ぶためのデータはないので不可能。

 ところが。

『あれ?サイケまた津軽のところに行ったの?』

俺の真横でマスターのウィンドウが開いた。

『ちょっと連れ戻してきてくれない?IPアドレスはこれだから』

そのすぐ後に有効な番号が送られてきて、ウィンドウは閉じられた。言うだけ言って急に消えるなよ。俺外出るの初めてなのに。

 しかし言うことには逆らえない。俺は愛用の機器を鞄のように片手に持ち、その番号先に飛んでみた。
No.151
2012/01/07 (Sat) 22:22:51

相変わらずパロ好きな私。
今度は医者です。

精神科臨也と整形外科医静雄。

なぜ整形外科医かは、いろいろ考えた結果。結構骨折ってたしね、実際。

 院内の喫煙所はかなり奥まったところにあった。それこそ、喫煙目当てでない限り誰も立ち入って来ないような位置にあり、朝だというのに薄暗かった。
そこで、整形外科医の平和島静雄は一服ついていた。医者は常にストレスと体力との勝負だった。喫煙者にとって世知辛い世の中になったもので、この病院も近いうちに禁煙を徹底すると聞いた。こうして煙草を吸えるのもあとどれくらいか。独立しようかなんて思うが、最初の設備投資費が馬鹿にならない。またここで親しくなった患者たちと別れるのも惜しい。
静雄は肩を回した。すると固まっていたようでぱきりと音が鳴った。ついでに首も回し、背筋を伸ばした。
すると目の端に影が入った。見れば、ガラス戸の先で手を振っている同僚がいた。
「やぁ、シズちゃん」
精神科医の折原臨也だった。身なりに気を配る彼だが、今日は夜勤明けなのか、その表情は声の割に暗かった。目の下にはクマがうっすらと浮き、疲れの色がはっきりと見えた。
静雄は紫煙を吐き出して言った。
「医者の不養生になる前に帰れノミ蟲」
「あとで仮眠をとるよ」
入ってくる気はないようで、臨也はガラス戸の前に立ったまま喋った。少し音が曇り聞き取りにくかった。
そして臨也はそのままガラス戸を背に床に座った。
「懐かしいね、ノミ蟲なんてさ」
「てめぇこそまだそれを呼ぶか」
静雄は臨也の背を睨んだ。
「こっち来てもう五年か。意外と短かったね」
「ここで会うとは思ってもみなかったがな」
「それ同感」
臨也はからからと笑った。

静雄が臨也とこの病院で再会したのは、今から五年前の話であった。



*   *   *



新しい精神科の先生が来る。
そんな噂が院内を流れた。噂には尾鰭がつくもので、静雄の耳に入ったときには、本当に医者かと思う状態にまでなっていた。
ある日、静雄が休憩がてら院内を歩いていた時、大きめのトランク一つと、脇にノートパソコンを抱えた男が入ってきた。そして何のためかサングラスをかけていた。院内中の外来の好奇の視線を集めていた。
――― どこのセレブ気取りだ。
明らかに診察目的ではなさそうだった。あぁ、こいつが今度の噂の精神科医か。そんなことを思いながら静雄はその背を見送った。なんとなくその背格好に見覚えがあったが、誰とまでは行きつかなかった。
彼はそのまま真っ直ぐカウンターに向かい、受付の医療事務員に言った。
「岸谷医院長はいる?繋いでほしいんだけど」
思わず静雄は足を止めて振り返った。その声は聞き紛うことがない。
「精神科の折原臨也って伝えてくれればいいよ」
そう言いながら男はサングラスを取ってワイシャツの胸ポケットにしまった。静雄の記憶より幾分か大人びた顔がそこにあった。
診察時間中だというのに、彼の顔を見た看護師たちは立ち止まり、ひそひそとささやき合った。そして好奇の視線はやがて興味の視線に変化した。
声をかけるのが躊躇われたのでそのまま診察室に戻ろうとしたが、逆に呼び止められてしまった。
「あれ、シズちゃん?」
悪くも懐かしい呼び名で。静雄はゆっくりと振り返った。そして速足に臨也の方へ歩いた。
「やっぱり。金髪の医者なんて君ぐらいだろうと思っていたら本当だったみたいだね。いやぁ、何年ぶりだろう。大学違ったから……九年ぶりぐっ!」
久しぶりに会ったことで興奮しているのか早口でしゃべる臨也の額を、静雄は容赦して弾いた。太めのゴムバンドを当てたかのような音が鳴り響いた。
「それを言うな」
臨也は仰け反った首を元に戻し、額と首を押さえてふらりとよろめいた。
「バカ力も相変わらずか……ってて」
額も痛いが、勢いを殺せなかった首も痛んだ。
「折原さん、岸谷医院長からご連絡です」
「はい」
臨也は首をさすりながら、静雄を見た。
「じゃ、またあとで」
そしてトランクを持ちノートパソコンを抱え、先を行く事務員の後を追っていった。


臨也は瞬く間に馴染んでいった。高校の時よりますます社交性に磨きがかかったのではいかと静雄は思った。
「そりゃあ、精神科は言葉が命だから」
そう臨也は言った。信頼ではない。静雄は寒さを感じた。
また偶然か必然か、外科医の新羅、内科医の門田を含め、高校時代の面子が揃った。とはいっても毎日会うわけでもない。廊下ですれ違った時に立ち話をするくらいで基本会う事はめったにない。特に外科と内科は忙しい。新羅に至ってはいつもどこかに出張に行ってしまっている父親の代理で院長も兼ねているときがある。



*   *   *



「まぁ、付き合いは……八年か」
「高校含めんのかよ」
まさか高校までが含まれるとは思ってもいなかった。何せ毎日が戦争のような喧嘩続きであったのだから。
それが十四年でここまで穏やかになったのは多少なりとも距離を測れるようになったからなのかも知れない。臨也も人を挑発するようなことをしなくなったし、静雄も怒りの消化方法を学んだ。もっともこの職に就いたというものも大きかったのかもしれない。
ふと、静雄は今まで聞いていなかったことを思い出した。
「そういや、最初の赴任先ってどこだったんだよ」
自分の年齢から五年を引いても、卒業からは三年のブランクがあった。その間臨也はどこに勤務していたのか、気になった。
だが返事はなかった。不審に思い煙草を消してガラス戸を引くと、壁に背を預けていた臨也はそのまま倒れてきた。
「臨也?」
「………」
無言で、目を閉じて、規則正しい呼吸を繰り返していた。
「……おい、寝るな」
傍にしゃがみ頬を軽くはたくが反応はない。頬を抓ってもまた然り。思わずその頬の伸びた顔に静雄の方が笑ってしまった。それでも起きないほど、臨也は寝入ってしまっていた。
このまま放っておくには外は少々寒かった。白衣を脱いでその上に被せると、仕方なく、静雄は臨也を抱え上げた。

いくら開院前とはいえ、職員は往来している。静雄はその中を、なるべく人目を忍んで案内板に従って精神科に向かった。途中すれ違った精神科医に「急患ですか?」と慌てた様子で聞かれたときは焦った。「いや、夜勤明けで寝ちまった」と答えると、彼は臨也の顔を見て納得したように頷いた。
「最近寝つきの悪い方がいらっしゃったみたいで、その相手をしていたようですよ」
しかも指名ときたらしい。それは睡眠不足にもなる。ただでさえ大変な職場なのだから。
朝早くから精神科に掛かりに来る人は少ない。おかげでほとんど人に会うことなく臨也の部屋まで辿り着いた。足を使って引き戸を開け、中に入るなり静雄は臨也を仮眠用のベッドの上に寝かせた。肩を軽く回し、そしてかけていた自分の白衣を取ろうとしたところ、引っ張られた。
「…おい臨也君よ、離せ」
何度か引っ張るが、力は緩まるどころか逆に強くなった。力任せに引っ張ることもできたが、その引く強さのせいで臨也自身がベッドから落ちるのも明らかだった。頭でも強打されては困る。自分じゃなくて病院が。営業に支障が出る。そう自分に言うと、仕方なく、白衣はスペアを使うことに決めた。
「洗濯してアイロン掛けて返せよ」
静雄はデスクにあったボールペンを手に取り、付箋に同じ言葉を書きつけ、内線電話に張り付け、部屋を出た。



*   *   *



呼び出しのコール音で臨也は目を覚ました。
「はい、精神科の折原です」
そう寝ぼけた声で言うと、急患の連絡だった。
「分かりました、……はい、今は落ち着いていると。すぐ向かいます」
臨也は受話器を置いた。すると電話には「洗ってアイロン掛けて返せ」と辛うじて読める汚い字の付箋が貼られていた。なんだこれはと思いつつ仮眠用のベッドから降りようとしたところでふと思った。そういえばなぜ自分は仮眠用のベッドで寝ているのか。記憶は喫煙所で途切れていた。そして自分にかかっている薄手の衾以外の、白衣。よく見ればそれは先ほどまで掴んでいたものではないだろうか。明らかに皺がその形で残ってしまっている。首のタグを見れば律儀にも「平和島」と油性ペンで書いたらしい滲んだ文字があった。
「……ははは」
思わず乾いた笑いが出た。そして臨也は頭を抱えた。
「最悪……」
他人様の、しかも静雄の白衣を抱いたまま寝るなどまったくもって信じがたいことだった。子どもか自分は。臨也は自分を嗤った。しかしそのまま悩んでいることはできない。臨也はのろのろと立ち上がると、アンダーとワイシャツを着替え、新しい白衣を着なおして部屋を出た。
No.150
2012/01/07 (Sat) 22:22:01

サイデリ風になったもの。
大丈夫、あれもそれもこれも何もしてないから。
空気だけR15で。


俺は雑誌を開きながらソファの上に寝転んでいた。新しいヘッドフォンや再生機器、スピーカーに新譜など、魅力的なものが所狭しと並んでいた。別段欲しいとかそういうわけではないが、それらは見ているだけで楽しいものだった。
しかしそんな幸せな一時は打ち破られた。
「でりっくー!!」
「ぐ……」
ネットサーフィンから帰ってきた兄が俺の背中の上に落ちてきた。しかもちょうど腹の上に乗ってきたから思わず呻いた。
「…退け」
「今日ね今日ね、おもしろいモノ見つけたんだ!」
そういう兄の顔を見れば、すばらしく企みを含んだ黒い笑顔を浮かべていた。要は口は笑っているが目が笑っていないということだ。さて急いで避難しなければきっと俺は酷い目に遭うだろう、いや遭わされる。しかし体はすぐに動かなかった。
俺は見事に兄に拘束されていた。力では俺の方が断然上なのだが、力任せと言うのは兄に通用しない。俺にとって用途の不明すぎる「支配コード」なるものをマスターが渡しているせいだ。これが使われたときは強制的に俺は兄に従うしかないのだ。
そして今、これが使われている。
「ぜひともこれをでりっくにためしたくてねー」
そう言って兄は何の断りもなく耳から伸ばしたプログラム転送用接続端子を俺に繋いできた。
「おい、何がしたいんだ」
「すぐにわかるよ~」
「っう!」
瞬間、視界にノイズが走った。パチパチとしたスパーク音が耳元で鳴り、俺はすぐに接続を切ろうと手を左耳に伸ばした。けどその手は兄に掴まれた。
「だーめ」
「これ、何」
流れ込んできたデータは、意思とは無関係に次々に読み込まれていく。文字の羅列はめちゃくちゃで、とても読めたものじゃない。しかもところどころコードに矛盾がありさらに拗れていく。って、これウィルスじゃないのか。
「俺をジャンクにする気か!」
「だいじょうぶ、こわれたりはしないよ。でりっくにもちゃんとセキュリティ入ってるから」

でも、ちょっと辛いかもね~。

そういう兄の声音は楽しそうだった。何か裏がある。絶対、ある。
「でね、でりっくがお兄ちゃん、って呼んでくれたらやめてあげるよ」
「ッ……」

――― そういうことかよこのバカ兄貴!

そう叫んでやりたいと思うが、どうにかこのプログラムを強制排除もしくは削除、終了できないかとフルで動くセキュリティのせいで俺は形声分野が機能しなくなっていた。
「…ぃ…ぁ」
慌てて喉に手を当てるが、それで何か変わるわけじゃない。空咳をするが何も変わらない。
「          」
そしてその機能障害は聴覚分野にまで響いてきた。プログラムは自動再生され俺を侵食しようとするが、そのそばからセキュリティが排除、削除、終了をしていく。視覚分野もやられ目まぐるしく画面が切り替わり、さらにそんな多重の高速処理のせいで体温が上昇した。
その光景から目を反らしたくて目を閉じて身を捩るが、内でのことだから消えるはずがなかった。
「……ッ」
――― 暑い、苦しい、痛い、熱い…
すべてが混ざって、もはや区別がつかなくなっていた。何かを掴みたくて手を伸ばすが、何も掴めない。次第に平衡感覚も狂い始め、自分がどこに向けて手を伸ばしているかもわからなくなった。
ふと、今まで空を切っていた手が何かを掴んだ。僅かな思考分野でそれが兄の腕だと気付くのには数秒かかった。とにかく、早くこの拷問のような状況から脱却したかった。
すると、ウィルスの侵食の速度に変化が生じた。遅くなった。その勢いが、最大の70、60、50パーセントと徐々に落ちていった。何が起きたのかと薄く目を開けると、焦点を失った視界で兄が何やら焦った様子で口を動かしていた。どうやら兄が外部干渉をかけてきているのだと、判断した。
「…  、  …」
「  」
その瞬間、プログラムの動作が停止した。視覚聴覚発声それぞれの機能は瞬時に復元され、セキュリティも奥に引っ込み、体の中は静かになった。

「「……」」

暫くの沈黙が流れた。
「満足、かよ、…バカ兄が……」
俺は動けなかった。かなり体力を消費したようで、活動限界域ぎりぎりまでに落ちていた。念のためデータバンクの被害状況を確認したところ、ウィルスデータはきれいさっぱり跡形もなく消え去り、被害を受けたのは家事データの一部とマスターのデータの複製位だった。どちらも元があるから復元は可能だった。
そして安心を得たところで急に眠気が襲い、俺は逆らうことなく目を閉じた。





ぱたりと眠ってしまったデリックを見て、サイケは急な罪悪感に襲われた。
「…ごめん、ね」
そう呟きながら、白い髪を梳いた。まだ熱は抜けておらず、デリックの身体は子供体温のサイケより温かかった。
予想以上に、ウィルスの侵食が早かった。多分今まで一度もその類に出会ったことがなかったゆえにセキュリティの自動防御機能がうまく動かなかったのだろう。そこまで計算しておくべきだったとサイケは反省した。
「でも、あれは反則だよ…」
目尻に涙を浮かべ、腕を掴んで、虚ろになりかけた目で舌足らずに掠れた声で自分を呼んだデリックは、想像以上に衝撃的なものだった。
『…ッにい、ちゃ……』
反芻しただけで口元が緩みかけ、サイケは口元に手を当てた。そしてデリックの手を取って、ソファに寄りかかる体制になって目を閉じた。
No.149
2012/01/07 (Sat) 22:21:23

教師、医者に続き、大好きな軍隊パロ。
若干暗めの話。

――― あー、もう、最悪だ
折原臨也は無残にも破壊され、鉄筋が露見してしまっているビルの、運良く残っていた基礎部分の陰に身を滑り込ませた。耳を澄まさなくても聞こえてくるのは乾いた破裂音と断続的な射撃音そして派手な爆発音。止むことのない砂煙と火薬と、死体の臭い。

彼が今いるのは、紛うことない、戦場だった。

もともと、臨也は軍の諜報部隊出身であった。任務遂行率は九割を超え、獲得してくる情報も有益で、軍部内では絶大な信頼を得ていた。社交性にも優れ、いずれは上層部に上り詰め軍を動かしていくだろうと思われていた。しかし八方美人な立ち振る舞いが不興を買い、こうして戦地の最前線へ赴く実戦部隊へと転属させられた。それ自体に関しては何も思っていなかった。実践は士官学校時代から得意分野であったし、生死のやり取りに対して平均少し下の恐怖がある程度だ。そんな彼が何より苛立って仕方がなかったことはある一点のみであった。

ビルの陰から敵兵の様子を窺っていたところ、不意に背後から肩を叩かれた。反射的にナイフを振り上げたのだが、黒い手袋一枚付けた手で刃先を掴まれ、そこまでだった。
「生きてたか」
その声を聴いて、臨也はナイフに込めていた力をふっと抜いた。同時に手も離され、ナイフを袖口に仕舞った。
平和島静雄であった。服はところどころ裂け、砂や泥による汚れはあるが、致命傷は負っていなかった。
「何だ、シズちゃんか」
臨也はその場に腰を下ろし、長い息を吐いた。臨也の苛立って仕方のない点である。
ことあるごとに、静雄と同じ戦場に駆り出されるのである。士官時代からの仇敵であることは上層部も知っているはずの事実である。なのに、こうして同じ場所で戦い、互いを助け合う状況にある。そしてそんな状況に、臨也は諦めという名の慣れを感じ始めていた。
最初の内は実際の敵よりもお互いを敵とみなして殺しあった。先に変化が訪れたのは静雄の方だった。臨也を見ては何度も青筋を立てていたが、次第にその矛先を無理矢理敵に向けていった。その変化に気付かない臨也ではなかったので、苛立ちを感じつつも敵を倒すことに意識を向けるようになっていた。
「戦況は」
「まるで駄目だね」
静雄の問いに対し、嘲笑し吐き捨てるように答えた。
「陣営の配置は最悪。人員は不足。連携も不可能。物資の調達も間に合わなかった。途中で爆破されたよ。俺は他の奴らはさっさと帰しちゃった」
一緒に動いてても邪魔なだけだから。そう付け加えた。
「そういう君はどうなんだい?」
「……とりあえず隊を二、三ぶっ壊して、戦車もいくつか壊してきた」
「さすが」
しかしそう言った静雄の表情は暗かった。
静雄が所属する特殊戦闘部隊に、彼以外の兵士はいない。そこはいわば軍内で人外扱いされた強い兵士たちの行き先であった。静雄は軍に入ってすぐ、ここに配属された。階級はない。寂しい隊番号が与えられるだけである。
――― まぁ、この作戦は敵の殲滅じゃないからね。
臨也は盗聴器を仕掛けた戦略会議の様子を思い出した。



*   *   *



野戦用に張られた薄暗いテントの中、作戦隊長の准将とその取り巻きたちは話し合っていた。そこに緊張感はなく、むしろ変に和やかな雰囲気だった。元諜報部隊の臨也が聞いているとも知らず、彼らは気を抜いて本心を吐き出していた。要約すれば、今回の戦闘はすでに負け戦であること、そして目的が、平和島静雄の「処分」であること。
これを聞いたとき、臨也は素直に驚いた。主観なしに今までの戦績を考慮すると、彼を失うのは軍にとって大きな損失になるだろう。しかしこの意見は容易に想像ができる。特殊戦闘部隊のその兵器性としての強さは皆認めるところだったが、彼らと一緒に任務にあたるとなると話は別のようで、必ずといっていいほど個人任務が与えられる。要は一緒に行動したくないのだ。末端の兵士たちはただ強い便利な奴がいるぐらいにしか考えておらず、恐怖もあるのだろうがそれを無理にでも隠して友好的な態度をとっていた。彼らの方がよほど優秀に感じた。
これはとんだ拾いものである。臨也はイヤホンを外し、レコーダーはそのままにしてテントの外に出た。そして静かな明莉のともる野戦用テントを順番に、丁寧に訪問していった。



*   *   *



銃声が止んだ。しかし敵兵の足音や戦車のキャタピラが鳴らす音は止まない。こちら側の残党を探しているようだった。
不意に臨也が胸ポケットに入れていた無線機に音が入った。引き上げの合図である。
「やっとか……」
「遅すぎ」
しかし静雄の無線は反応していなかった。それを特に静雄は気にすることは無かった。むしろ、気にもかけていなかっただろう。それは臨也の想定の内だった。向こうはおそらく自分と静雄が一緒にいることには気づいていない。
「走るぞ」
「言われなくとも」
まぁ、帰っても君の居場所はないと思うけどね。
その言葉は言わずに、袖口とブーツの内側にナイフを隠していることを確認して、臨也は静雄の後を追った。

基地までは直線で数キロメートル。疲弊した体には酷だが走れない距離ではない。盾となる瓦礫の多い道を選択し、周りに注意を払いながら二人は走った。戦場となった街の様子は酷いものだった。無事な建物は一つとない。辛うじてバランスを保って立っているビルはあるが、ふとした拍子に壊れかねない。舗装されていた道はアスファルトがはがれ、砂の地面が露わになり煙っていた。ところどころ、瓦礫には赤黒い飛沫が散っていた。横転したらしい戦車からはガソリンが漏れ、いつ引火するともわからない。先ほどまでの轟音のせいで静けさを感じた。気持ち悪いぐらいの静けさだった。敵方の戦車のエンジンが遠い。いや実際はそんなに遠くないのだろうが、轟音で耳がやられているのかもしれない。
途中ライフルを持った敵の一団を見つけ、二人は瓦礫に身を隠した。勘のいいやつだったようで、二、三発先ほどまでいた場所に発砲された。しかしそれ以上はなく、彼らは周りを警戒しながら歩いて行った。
「危なかったな……」
「やるねー」
瓦礫から様子を覗うと、再度二人は駆けだした。

何事もなく基地にたどり着けるとは思っていないがとにかく走れるだけ走った。静雄も同じ考えのようで、まわりを確認しながらも走ることに集中していた。
途中、臨也は脇を見て目を見開いた。
「!」
鉄筋がむき出しになったビルの上、こちらを見て銃を構えている軍人がいた。纏う服は自軍の兵士のもの。そしてその照準は自分を捉えていなかった。赤いレーザスコープが静雄へと蛇行した。
思わず踏み込み、前を走る静雄を突き飛ばした。
「ッ!」
突然押され、静雄はバランスを崩して前に傾き、瓦礫の陰に滑り入った。直後、地面が爆ぜる音が鳴った。銃声はない。サイレンサーだった。臨也はすぐに態勢を立て直し、自作の爆薬を投げつけた。外すとは思っていなかった軍人は反応が遅れ、そのまま爆発に巻き込まれた。殺人用ではないので殺傷能力は低いが、気の立った軍人を驚かすには十分だった。
突き飛ばされた静雄は起き上がると、振り返って臨也の方を見た。
「なにしやが」
「走れ!」
その突然の大きな声に静雄は抗議の言葉を飲み込み、走り出した。その後を臨也は追った。これで自分が彼らに背いたことは確実に伝わる。
「こっち!」
真っ直ぐ正直に基地に戻ろうとする静雄の腕を引き、臨也は道をそれた。
「おい、そっちじゃねえだろ」
「いいから来る!」
ちらりと上を見上げると、先ほどの兵士が再度銃を構えていた。思ったより早かったな。臨也は舌打ちをすると、静雄の方を見た。
静雄は臨也と同様、先ほどまで上を見ていたようだった。下を向いたその顔は驚いていたが、わずかに納得したような諦観も含んでいた。
銃声に追われるように、二人は戦場を駆けた。



*   *   *



夜。
ついに基地に戻ることは無かった。静雄は臨也に引かれながら荒廃した建物の中に入った。そこにはブランケットや食料など自軍の配給物が置いてあった。臨也が用意したものだ。静雄は思った。戦場に似つかわしくない、穏やかな時間だった。お互い無言のまま、月の光が差す廃墟を眺めた。恐らくもともと解体予定の建物だったのだろう。コンクリートの柱が立つだけで、机も椅子も何もなかった。
臨也はそうだと言わんばかりに立ち上がり、置いていた機材を組み立て、ヘッドフォンを耳に掛けた。するとノイズ交じりに音声が入ってきた。どうやら基地に残してきた盗聴器はまだ見つかっていないようだった。会議室の中は静雄の生存と自分の謀反に慌てていた。謀反の相手が臨也でなければここまで大事にはならなかっただろう。
「基地には帰れそうにないね」
ヘッドフォンを外して、臨也は言った。
「……」
静雄は壁際に寄り、肩からブランケットをかけ、俯いていた。
「あいつ、味方だったよな」
「うん。第八部隊の隊長だ」
臨也は淡々と答えた。彼は軍によく従い、また静雄にも比較的友好的だった。これが最悪の関係で、お互い嫌悪しかなかったらどんなに良かっただろうか。彼はどんな気持ちで静雄をスコープの先から見ていたのだろうか。仲間か。人間か。化け物か。それは臨也もあずかり知らぬところだった。
静雄は膝を額によせ、長い息を吐いた。
「絶望した?」
臨也は静雄の横に腰を下ろし、静かに問いかけた。
「……お前は知ってたんだな」
静雄は自分が被っているブランケットや食料の入った荷物を見て言った。用意が周到すぎた。確実でない限り、こんな無駄なことはしないだろう。
「盗聴器をちょっと置いておいたんだよ」
人に使われるのって心底嫌いだからさ。
臨也は口元に笑みを浮かべながら言った。
「それに、他人の都合でシズちゃんが死ぬのは嫌だから」
同時に、遠くで爆発音がした。
「なっ!」
思わず静雄は立ち上がった。その爆音は自分たちの陣地の方向からだった。あわてて廃墟から駆け出して見れば、自分たちの基地は煌々と明るかった。
「お前!」
そして激情に任せ、静雄の後を追ってきた臨也の胸倉を掴んだ。「別に俺は悪いことはしていないよ?」
肩をすくめ、臨也は静雄の手に手を重ねた。
「軍の大事な兵器を壊そうとした反逆者を粛清しましたって言っちゃえば良いんだから」
そう言って、臨也はレコーダーを振った。恐らく今回の作戦会議の音声が入っているのだろう。しかしそんな上層たちのことはどうでもよかった。静雄にとって心配だったのは彼らに動かされている側の人間たちだった。
「下の奴らは関係ないだろ!」
「彼らは、まぁ逃げれば大丈夫なんじゃない?」
あくまで臨也は冷静だった。静雄はその態度にさらに神経を逆撫でされたが、踏みとどまった。
「死にたくなければ一時に荷物持って集合ってことで十キロ離れた山間を集合場所にしておいたから」
「……」
静雄は手を離し、数歩下がった。
「とりあえず今日はもう寝よう」
乱れた襟首を直しながら、臨也は静雄に目くばせをした。
廃墟に戻る臨也の背に、静雄は言った。
「お前、敵か?味方か?」
その言葉に臨也は足を止めた。
「俺は俺の味方だよ」
そう言って中に戻っていく背中が、静雄は果てしない不信感とともに、少しだけ頼もしく感じた。






付随。



廃墟は風通しが良かった。夜ともなれば気温も下がり、風も冷たく感じられた。臨也は冷えた指先をじっと眺めながら、傍で横になっている静雄の背を見た。規則正しく肩が上下していたが、寝てはいないようだった。臨也は静雄のすぐ横に寝転がった。少しだけ温かい感じがした。
すると体勢を変えようと、静雄は反対側を向いた。なぜかすぐ近くに呼吸音が聞こえ、静雄は目を開けた。すると、臨也と目があった。あまりに突然のことに静雄は頭がついていかなかった。鼻先十五センチほどに臨也がいた。
「……おい、何で」
「だって寒いの嫌だから」
何と自分勝手な。静雄は離れるために起き上がった。しかし臨也はすでに静雄の腰に手を回し、完全に寝る態勢に入っていた。まるで猫がじゃれつくように頭を擦りよせてきた。
「シズちゃんあったかーい…」
「は、な、れ、ろ」
そう言いながら臨也の頬に触れたのだが、それが異様に冷たかったため、振り払うに振り払えなくなった。そのまま凍え死んでしまえばいいのになんて思ったが、今回は借りがある。振り払うことを諦め、静雄は臨也に背を向けて横になった。背中に額が当たる感触があった。
「………本当、シズちゃんが人間だったらよかったのに」
小さな呟きだった。本音かどうかは図れない。
「……あぁ、俺も人間でありたかったよ」
静雄は自分の本音を語った。別に自分はあくまで人間だが、こんな膂力を持っていない人間でありたかった。
「早く戦争、終わんねーかな」
毎日戦場に駆り出されては精神がすり減る。怒りにまかせて力を奮うが、あとに残るのは虚無感と猜疑心だけだった。自分は何をしているのか。何のために。
背後から静かな呼吸音が聞こえ、静雄もそれに倣うように目を閉じた。

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獅子えり
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自己紹介:
日本の真ん中あたりの都市に住処有。最近有名になった大学に在学。ドイツ語専攻中。ゲームは日常の栄養剤。小説書くのは妄想を形に(笑)本自体が好きという説明しがたく理解されにくいものを持っている。横文字は間違える。漢字は得意な方。英語は読み聞きはいいが話せない。他は自己紹介からどうぞ。
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